日本共産党 8 | dizzのブログ
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1.「公然と外から攻撃した」

朝日新聞と日本共産党の批判(というより非難)合戦が火花を散らしています。

発端となったのは、朝日新聞2月8日の社説「共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ」です。社説では冒頭から、共産党をこう批判しています。

「党勢回復に向け、党首公選を訴えた党員を、なぜ除名しなければいけないのか。異論を排除するつもりはなく、党への「攻撃」が許されないのだと言うが、納得する人がどれほどいよう。かねて指摘される党の閉鎖性を一層印象づけ、幅広い国民からの支持を遠ざけるだけだ」

「共産党本部の政策委員会で安保外交部長も務めたジャーナリストの松竹伸幸氏が一昨日、党を除名された。党トップの委員長を全党員による投票で選ぶことなどを提案した「シン・日本共産党宣言」の出版からわずか半月余り。党規約で「警告」「権利停止」「機関からの罷免(ひめん)」の上の最も重い処分だ」

これに共産党の志位和夫委員長が、猛反発しました。その様子を産経新聞は、こう伝えています。

「朝日の社説、あまりに不見識だと思う。私たちが規約違反の事実で(松竹氏の)処分をしたことについて、共産党が異論を排斥する党だと描いているわけだ。異論を持ったから排斥しているわけではない。公然と外から攻撃したことを問題にしている・・・」

「もう一つは、彼(松竹氏)を善意の改革者であるかのように持ち上げている。しかし、善意の立場でモノを言っていたとしたらなぜ党の規約にのっとった、正式のルートで一度も意見を述べることをしなかったのか。私宛ての意見書も一度もない」

志位氏は興奮のあまりか、朝日新聞を産経新聞と言い間違え

「あっ、ごめんなさい、産経新聞、たいへん失礼いたしました。産経新聞はそういうことをやっておりません。朝日だけだ、これをやったのは。これはあまりに不見識だ。共産党の自主自立的な決定に対する外部からの攻撃だ」

と、すぐに謝っています。

いずれにせよ、松竹氏の著書を「公然と外から攻撃」といい、朝日の社説も同じく「外部からの攻撃」と捉える受け止め方に、日本共産党の体質が現れていると思いました。

自民党などは、年がら年中、朝日新聞の批判(フェイク・ニュースも含め)を受けていますが、それを「外部からの攻撃」などと反発している姿は、記憶にありません。

2.松竹氏と志位氏の「見解の相違」

この松竹氏は50年近くも専従として党本部などで活動してきて、政策委員会では安保外交部長まで務めた人です。

しかし、志位氏との間で見解の相違により2006年に退職。

それでも共産党員は辞めずに、毎月収入の1パーセントの党費、それよりももっと多いカンパ、さらには所属する支部の会合にも熱心に出席していたそうです。

この松竹氏が「外部からの攻撃」をしたのか、どうか。その著書を読めば、すぐに分かります。

まず、志位氏との「見解の相違」とは、2005年に松竹氏が安保・自衛隊に関して党の月刊誌『議会と自治体』に寄稿した論文から生じました。

氏は「共産党が一方では九条を堅持しており、他方では侵略されたら自衛隊で日本を防衛するという立場に立っている」と述べました。九条のもとでも自衛権は持っているという考えです。

志位氏はこれを共産党の立場から大きく逸脱しているので、次号に自己批判文書を載せるように求めたというのです。

「侵略されたら自衛隊で防衛する」という党の立場は「安保条約が廃棄されて以降の方針」であって、それ以前にも自衛隊を使う、という松竹氏の考えは間違いだと言うのです。

松竹氏は「侵略された場合には安保条約のあるなしに関わらず自衛隊を使うのが当然だ」として、議論は平行線を辿り、結局、松竹氏は党本部を退職します。

ところが、志位氏は2015年に野党による「国民連合政府」の樹立を呼びかけ、その際に「党は(自衛隊は)違憲という立場を一貫して堅持しますが、(共産党が参画する)政府は合憲という立場を一定程度の期間、取ることになります」と語っています。

党としては自衛隊にも安保にも反対だが、連合政府なら日本有事の際には自衛隊の出動どころか、米軍との共同対処までOKと言うのです。

3.党内で活発な議論をしていくための党首公選制

どうも志位氏は曲芸的な議論を弄ぶ人間のようです。

この志位氏の軌道修正は、党内に大混乱をもたらしました。

「志位氏が、共産党としての自衛隊違憲論は変わらないが、党も加わる政権では合憲という立場をとると表明したことは、総選挙を前にして突然だったこともあり(第二章で紹介したように数年前から言っていたのだが、平時のことで誰も注目しなかった)、党内で大混乱を生じさせた。選挙後、意見書を出した党員や党支部もあると聞く」

「党内の現状は自衛隊の活用に反対する人が多いし、ましてや政権としては自衛隊合憲という考え方には反対する人が多数である。志位氏の説明は、これらの党員を納得させるものとなっていない」

なにやら志位氏の態度変更からは、習近平が今までの徹底した「ゼロ・コロナ」政策を説明もなく突然、転換した独断専行で、中国全体が混乱に陥った様が連想されます。

独裁制特有の「俊敏」な意思決定ぶりです。

共産党の規約(第三条)には「党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める」とありますが、松竹氏はこう批判します。

「民主的な議論をつくし」ているかどうかは見えていない。「党内では民主的な議論をしている」と内部の人が言っても、国民の目に見えなければ、果たしてそれが真実かどうか証明することができないのだ」

だからこそ、松竹氏は党首公選制を通じて、党内の意見のバラツキを党員からも国民からも見えるようにし、候補者間の公開討論を通じて、党内の意見集約をしていくことを提案しているのです。

「党首公選が数年に一回は実施され、何人かが自分の政策を掲げて出馬し、活発な議論がされることは、党内外にいい影響を与えると思う。国民から見れば、「共産党は異論を許さない」「怖い」というイメージがあるが、それが目の前で払拭されていくことになる」

「党員にとっても、最終的には党の決定に従って活動するわけだが、自分と同じ考えの人もいれば違う考え方の人もいることを目撃することで、もっと自由に思考してもいいことが分かり、個性をもっと発揮しようとして活性化することになる。政策的な意見の違いが公開の場で議論されることは、それほど重要なことである」

これが「外部からの攻撃」でしょうか? 

共産党を良くし、党員を活性化しようという「善意の提案」としか読めません。これを「外部からの攻撃」と受けとめるのは、よほど党首公選制を恐れている人でしょう。

たとえば、2000年に日本共産党委員長に就任し、以来、20数年間も党員選挙の禊ぎを受けずに、地位を独占してきた志位氏のように。

4.今も日本共産党は破壊活動防止法に基づく調査対象団体

「共産党は異論を許さない」というイメージは、日本共産党の歴史を知れば、同党の本質を捉えた理解です。

日本共産党は、ソ連が世界に共産主義を広めるために設立したコミンテルンの日本支部として発足しました。

その後、ソ連共産党や中国共産党の資金援助を受けながら、時に暴力活動をして来ました。

外国の指示を受ける政党、あるいは暴力活動を展開する政党が、党内の異論を許していたら、活動などできません。

党首公選制などは、戦闘中の軍隊で誰が部隊長になるか議論しているようなもので、俊敏な戦闘行動ができません。

戦後、昭和33(1958)年に書記長に就任し、以後、40年間も共産党のトップを務めた宮本顕治は、昭和8(1933)年、党税制部長の小幡達夫を、警視庁のスパイ容疑で「査問」をしました。

リンチによって、小幡を傷害致死に至らしめ、遺体を床下に埋めました。

宮本は治安維持法のみならず、刑法の不法監禁致死傷罪、死体遺棄罪、鉄砲火薬類取締施行規則違反などで、無期懲役の判決が確定し、12年間網走刑務所に入っていました。

解放されたのは、戦後、GHQによってです。

戦後、しばらくは日本共産党とGHQの蜜月期間が続いたのですが、昭和25(1950)年、朝鮮戦争を控えてスターリンは、日本共産党に武闘闘争によって背後から米軍を脅かすことを命じたのです。

その指示に従って、1952年には、血のメーデー事件、火炎瓶事件など数多くの武装闘争、騒擾事件を起こします。

そのため同年の衆議院総選挙では、国民の武装闘争への警戒感から共産党の獲得議席は前回の35議席からゼロへと激減しました。

1958年に書記長に選出された宮本顕治は暴力革命論から「どういう手段で革命が達成できるかは、最後的には敵の出方によってきまる」という「敵の出方論」に修正しました。

敵の出方によっては、暴力革命路線を採る、というのです。

平成28(2016)年3月、自民党の鈴木貴子衆議院議員は「共産党は破壊活動防止法の調査団体かどうか」政府に確認を求めました。

これに対し、安倍内閣は次のような答弁書を閣議決定しています。

「日本共産党は、現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」「いわゆる敵の出方論に立った『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」

5.欧米各国ではほとんど絶滅状態の共産党

暴力革命を目指しかねない共産党を「破壊活動防止法に基づく調査対象団体」とする、というのは、実は欧米諸国と比べると、非常に甘い対応です。

近現代史研究家で、かつて民社党政策審議会部長などを務めた福富健一氏は著書『日本共産党の正体』で、次のように指摘しています。

「日本と違い、欧米ではフランスを除きほとんどの国で、共産党は国会に議席を持っていません。二〇世紀は共産主義の誕生と死滅を目撃した世紀といわれています」

「第二次世界大戦後、スターリンのソ連共産党の東欧への強引な武力侵入やファシズム体制を見て、西欧諸国では多くの人々が「共産主義とは全体主義である」と見なすようになりました。そのため、国家を分断された西ドイツでは共産党を憲法違反とし、イギリス労働党やドイツ社民党など西欧の社会主義政党は、共産主義を排除した社会主義を目ざします」

西ドイツで共産党を憲法違反としたのは、憲法たる基本法で「自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である」と定めたからでした。

これにより、15議席を獲得していたドイツ共産党は解散させられました。

このように、思想・言論の自由を保障しつつも、暴力革命によって自由・民主主義を破壊しようとする思想は許さない「闘う民主主義」を欧米諸国は憲法や法律に取り込んでいるのです。

6.共産党が二桁の議席を持つガラパゴス状態からの脱却

欧米諸国ではほとんど絶滅状態の共産党ですが、わが国では一大勢力をふるっています。

日本共産党のホームページによれば、現時点で国会議員21名、地方議員2500名の大勢力です。

これだけの勢力が自衛隊を違憲とし、日米同盟を否定し、なおかつ日本を護るためには具体的にどうすれば良いのか、具体的な提案もしていないのです。

志位氏は他の野党に共闘を提案していますが、「自衛隊・安保という基本政策が異なるので、政権共闘の対象にならない」と言われています。こういう曖昧な態度が野党共闘を不可能にし、その結果、自民党は万年与党として緊張感を欠く政治を続けています。

たとえば、松竹氏は尖閣問題に関して、こう述べています。

「万が一、中国軍が尖閣諸島を奪いにくる場合のことを考えてみよう。専守防衛に徹するのか、核抑止に依存するのか」

「日本は尖閣を自分で守る、アメリカが助けに来なくても守る、そんな姿勢で臨むべきだ。中国の本土にある出撃基地まで叩くことはせず、それをアメリカの力(核も含め)に頼るのでもなく、日本自身が尖閣の周辺から中国軍を追いだすことに徹するべきである」

「その結果、現在のウクライナ戦争のように、尖閣を奪われたり取り返したりをくり返す消耗戦のようになるだろう・・・」

「アメリカには、その消耗戦のどこかで仲介者として停戦に乗り出してもらうのが望ましい。そのためにも日本は自力で戦うことを基本とすべきである」

かつての「非武装中立」などという夢想ではなく、松竹氏がかつての共産党の伝統的政策であったとする「中立自衛」という主張です。

たとえば党首公選制で、こんな議論が闘わされた上で、松竹氏が党首に選ばれたとしたら、他の野党も現実的な政権共闘を考えることができます。

こうなると、共産党はかつての「外国に指示されて、暴力革命まで起こしかねない政党」から、欧米並みの「共産主義を排除した」左派政党に脱皮できるでしょう。

松竹氏は党名変更まで提案しています。

そうなると、わが国は先進国でほとんど唯一、「共産党」が有力政党であるという「ガラパゴス状態」から脱却することができます。