グリーンファーザー | dizzのブログ
グリーンファーザー

杉山龍丸

2015年5月2日に日本でレビュー済み
結論から言えば、筆者が擱筆してから実に三十二年かけて世に送り出した本書は、先の大戦の「戦場のリアリティ」を余すところなく記録、叙述されたその内容に圧倒されるばかりだった。

それは、戦争を知らない我々が持つ、「戦争は悲惨だ」「戦争は悪」という紋切り型の念仏的平和理念や、「あの戦争は正しかった」「(戦争中は)日本もいいことをやった」という自虐史観の反動的戦争観を軽く吹き飛ばす。

筆者の「曲がったことが嫌いで正直者」の性格によるものであろう、丹念な整備日誌を基に徹底してリアルに再現された活字が、当時を生き生きと再現させているからだろう。

息子で編者の満丸氏のまえがきには、息子として父の遺稿を世にどう読んでもらいたいかを切々と綴られている。

「この本は父が『涙を流しながら十年の歳月をかけて書き綴ったものだ』と母から聞いた。(まえがきより)

以下は龍丸氏の独白

「真正面からの戦争での勝ち目は全くなかった。この意味で、日本が戦争を選んだことは亡国への道を選んだことになり、大日本帝国はこの比島戦で亡ぶのだ、と私は思い定めていた」

「この戦争はアジアの独立、植民地解放を建前としているけれども、日本政府自体は侵略戦争を行っている。この戦争は単に軍事力や技術、能力の問題のみでなく、その実態において敗れるか、もし勝利しても朝鮮や中国の根強い反日感情によって失敗に帰すであろう」

「一人間として、悔いのない充分な働きをして死にたい。そのためには、瞬時といえども自ら最善を尽くし、生死は運命に委ねることにしていた」(第七章 レイテ総攻撃戦 P244、245より)

「軍司令部、師団司令部で参謀連中が丸々三日間も何もできなかったという事実、この無能無策ぶりについては、栄光ある日本陸軍において何も言うことができないであろうと思う」(第五章 特攻隊攻撃 P140、141より)

「美事に死ぬということは、自分の考えでのミエであり、人間が考えた幻想にすぎない」

「平和という言葉は人間が考え、人間が作った願いのようなもので、それは願いという一つの幻想ではあるまいか?」(第五章 特攻隊攻撃 P181、182より)

「私は彼らに謝る意志が全くないことを明言した。それは、私が彼らと共に闘うことにおいて、全身、全霊をもって私の最善を尽くして来たからである」

「杉山家に生まれた私は、第二次世界大戦に日本が自ら突入すべき運命の原因、朝鮮の植民地化、満州の占領、中国が抗日戦となっていった歴史の本質を知っている」(あとがき P363、364、365より)

間違っていたら上官命令といえども是正する姿勢を一貫した杉山大尉の反骨ぶりに喝采を贈りたくなったと同時に冷や冷やさせられた。

また、特攻で出撃する前夜、陸士同期の隊員(大尉、戦死)が「飛行師団司令部の奴等、くそったれめがっ!」叫び酔いつぶれるシーンは、特攻を美化する向きに冷水を浴びせるまさにリアルなシーンである。

一貫して緻密な描写、記述で綴られている本書は、「日本民族の歴史」の一面をざっくりと抉り出し、グィッと我々の前に差し出している。

本書を読み終えて、「反戦」という巷使われる言葉の軽薄さをあらためて実感する反面、最近流行の気配を漂わせている、戦争を必要以上に美化する小説や映画に潜むフィクション、虚構に危機感を覚える。

幻想に徒に危機感を煽り、幻想に酔い痴れる。

そうした現代日本の危うい濁流にしっかりと太い棹を指す、大著が本書である。

<以上>