2017年、京都大学の英語の問題は、
 
パラグラフリーディングを教えるのに最適と言えるような長文が出題されたが、
 
それ以上に内容が伴っていた。
 
 
簡単に言うと、
 
今を一生けん命生きるべし、ということは古来から繰り返し言われている大切なことであるが、
 
それができない人たちがいるのはなぜなのか、
 
を論理的に展開している長文だった。
 

以下のようなくだりがあった。
 
Some people drift away from the present by desiring something better than what exists here and now. Another more thorough way of avoiding full immersion in the present is by seeing all of life as stages of preparation...
:今ここにあるものよりももっと理想的なものを求めることで、今を生きるのを避ける者がいる。しかし、それ以上に徹底して今を生きるのを避ける方法は、人生のすべてを準備段階とみなしてしまう生き方だ。
 
   チューリップ
 
「嫌われる勇気」という本にも、似たような記述があった。

人生を物語のようにとらえる発想は、人生の大半を「途上」としてしまう考え方…
(P264)
 
遠い将来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考える。これは人生を先延ばしにする生き方…
(P274)
 
京都大学の長文と、「嫌われる勇気」の本文には、共通点があることに気がついた。
 
「今を準備段階とみなして生きること」が間違いだということだ。
 
   チューリップ
 
大学受験のための塾をしているが、
 
高校生活が「合格のための準備段階」であってはならない、
 
高校生活が、大学合格に奉仕するための日々であってはならない、
 
いつでも、今日を充実するように生きる、
 
そういう生き方をしていれば、万一、受験結果が出なくても高校生活が無意味ということには決してならない、

そういうメッセージを高校生には伝えていこうと思う。
 
自分としては、人生においてとても大切な教えだと思う。
 

こういう考え方をして生きていたら、
 
高校生の頃の自分も少しは救われたんじゃないかと、
 
真剣に思う。