3歳児は、目が生き生きしている。
3歳児で、目が死んでいる子なんているのだろうか。
そして、3歳児で自殺する子はいない。
ひるがえって、英語塾。
英語塾では、目が死んでいる子がいる。
オーラが感じられない子がいる。
別にそれが悪いことだとは思わない。
塾の外では、何かに目を輝かせることができていれば、の話だが。
この塾を建てる前に考えていたのは、
塾生の目を3歳児の目にしたい、ということだった。
塾を建てる前は、理想的なことをたくさん考えた。
しかし、塾生の目を3歳児の目にするというのは、全くうまくいっていない。
もちろんそれを常に念頭に置いて改善を模索してはいるものの、
正直、それは理想論であるとも認めつつある。
せめてとは思い、別の何かに夢中になってほしいと切に願って話をしているのだが。
ついこの前、小学6年生が全国最年少気象予報士合格者となったというニュースが流れた。
彼女はきっと、人から決して強制されたわけではなく、自分の好奇心だけをたよりに
時間をかけて気象予報士の学習を続けていったのだと思う。
決して学校の勉強だけが全てではないと思うし、
課外活動に夢中になるというのも、私は広義の学習だと思っている。
自分の意思で、寝食を忘れるくらい夢中になれるものがあったら、
それが単なる趣味ではなく将来につながるものであれば、子どもとはいえ1人の個人として魅力的だと思うし、尊敬もする。
塾生は、死んだ魚の目なんかしないでほしいと思うし、
オーラを出して生きていてほしいなと思う。
子どもらしく、喜怒哀楽を全面に出して、
全てのものを当たり前と思うのではなく、生まれて初めて見るかのような視点でいてほしいと思う。
日本は自殺率が高いというが、
GDPがどんなに高くても、エンゲル係数がどんなに低くても、自殺率が高いのは幸福とは言えないと思う。
物質的に豊でないにしても、3歳児の目をして暮らしていける大人は幸せだろう。
うちの塾生は、3歳児の目をまだ失わないでほしい。
子どものうちから目が死んでいたら、よい大人になれない気がする。