世の中にはいろいろな意見があるということを、子どもたちはよく知っておいてほしい。
 
いろいろな大人がいて、好き勝手言うので、勉強を真面目にやっていないと、簡単にだまされてしまう。
 
特に塾生には、気をつけてほしいと思う。
 

例えば、蓮舫という国会議員はこんなことを言っている。
 
「先の大戦では、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦しみを与えました。二度と同じ過ちをおかしてはならないとの思いを新たにし、後世へと伝えていくことをお誓いします。 」
 
 
でも、私の認識は、こうだ。
 
「先の大戦は、日本はただ一国で欧米を相手に戦った。負けはしたが、欧米による理不尽な世界支配を根底から覆すこととなった、世界史上、非常に意義深い戦いだった。」
 
 
どちらの意見が正しいだろうか、
 
すぐにはわからないと思うが、よくよく勉強して、いつか自分の意見を持ってもらいたい。
 
くれぐれも、場の空気とか、雰囲気とか、そういうものに左右されないように。
 
 
 
第二次大戦は、いまだ歴史として語れない。
 
なぜなら、いまもなお政治が絡んでいるからだ。
 
政治が絡むというのは、利害関係がある、ということ。
 
利害関係があるから、みんな自らが得になる発言しかしないために、
 
人が歩んできた歴史を、純粋に客観的な歴史として見ることができないのだ。
 
 
東京裁判で、唯一日本人は全員無罪であると主張した、インド人のパール判事は、このように言っている。
 
時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、
また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。
 

時が、熱狂と偏見をやわらげるのは、いつになるかはわからない。
 
500年近くかかるかもしれない。
 
しかし、500年後の歴史家は、日本の功と罪の両方を客観的に見てくれると私は信じている。
 
そして、後世の歴史家は、蓮舫の意見よりも私の意見を、きっとより正確な歴史観として評価するものだと信じている。
 
 
 
先の大戦では、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦しみを与えました。

これは、白人が言うべきセリフである。
 
このセリフの主語を我々日本人だとして語ることが、いかに滑稽であり、かつ悲劇であるか、
 
よく考えてもらいたいと思う。
 
日本は、戦うべき時に戦った、非常に誇り高い民族である。
 
第二次大戦は、日本は壊滅的な被害を受けたが、
 
もしも日本が戦わなかったら、
 
戦うべきときに戦わないで、アメリカに隷属するという選択肢を日本が取っていたとしたら、
 
世界史は今もなお、アジア・アフリカは欧米の奴隷と記述されているだろう。
 
それは、死よりもつらい生だったろう。
 
1492年のコロンブス以来続いた理不尽な国際社会・国際体制を、日本はほかのアジアの力を借りずに、だた一国で覆す戦いをしたのである。
 
 
私は、わが国を作ってきた祖先に、心から感謝するし、尊崇の念に堪えない。
 
私たちは、祖先に対して、そして日本人であることに対して、
 
全く卑屈になることはなく、むしろ非常に誇り高いことであり、
 
その民族の叙事詩と、そして将来への責務を、
 
後世へと語り継ぐべきだと私は思う。
 
 
二度と同じ過ちをおかしてはならないとの思いを新たにし、後世へと伝えていくことをお誓いします。
 
このようなことを言う人こそ、
 
実はどういう利害関係に基づいてこういう発言をしているのか、
 
将来を担う子どもたちは、よく考えてもらえたらと思う。
 
 
 
PS
第二次大戦は、日本は敗戦国ですが、
実は、アメリカも戦勝国とは言えないでしょう。
第二次大戦で勝ったのは、国というよりもむしろ、共産主義というイデオロギーです。