愛媛県の中学・高校で、おかしいと思うところは、
夏休みに異様に「補講」が多いことだ。
「補講」とは言え、事実上の強制参加の授業のため、
夏休みが異様に少なくなる。
1学期の終業式の後に、
前期補講・中期補講・後期補講と、ありったけの日本語を用いて期間を設定し、補講を行う。
私が子どもの頃は、こんなことは一度もなかったので、
すごく子どもたちがかわいそうに思える。
はっきり言って、先生たちにも同情するくらいだ。
あたりまえだけど、休みは、学校を休むから、休みという。
なのに、学校に来させたら、休み、じゃない。
日本語を解する人なら、誰でもわかることだ。
企業レベルで言えば、相当ブラックなことを子どもたちに課していることになる。
これは、私には異様に映る。
大阪であった桜ノ宮高校というところでは、体罰が当たり前のように行われていたが、
あれとやっていることは違えど、同程度の異様さだと感じている。
これは私の教育観であるが、
勉強するときは勉強する、休むときは休む、である。
メリハリをつけなさい、と子どもたちには普段から言っている。
夏休みくらいは、遊ばせてあげるのが良いと思う。
遊び、とはいえ、決してだらだらと過ごすわけではない。
机上の学習は、ふだんいくらでもできるのだから、
夏休みは山に行ったり、課外活動に参加したり、
ふだんはできないような活動に従事するチャンスだと思う。
要するに、むやみやたらと補講を連発するのは、
子どもの自由と主体性と、さらには貴重な学習チャンスを奪っていると思う次第だ。
うちの塾はそう考えているので、
夏期講習とかはやらないことにしている。
そして、机上の勉強以外の学習や、課外活動の重要性を、塾生に伝えている。
もっとも、高2には300時間、高3には400時間という数値を設定して勉強するように伝えてはいるが、
高1以下は、中3で受験生でもなければ、夏休みの宿題がが終わり次第、
夏休みにしかできない活動や体験に従事すると良いと言っている。
私は、7月21日から8月31日までは、夏休みにしてあげて、
子どものすることに極力干渉しないのが良いのではないか、と考えているが、
これって、ゆとりと言われてしまうのだろうか…?
子どもたちの夏休みの思い出を奪う大人にはなりたくないと思う。
私の息子には、夏休みは宿題を終えたら、目いっぱい遊びなさいと伝えている。
将来、補講なんか学校から言われても、行く必要はないと伝える。