5月5日の産経抄より抜粋です。


「南京大虐殺は信用できない」…「最後の零戦乗り」が小紙の取材に語った言葉

 旧日本海軍の誇る3隻の空母は、米軍爆撃機の空襲により、炎上沈没した。唯一難を逃れた「飛龍」も、まもなく大爆発を起こす。直前に飛び立った零戦に搭乗していたのが、原田要(かなめ)さんである。大敗北に終わるミッドウェー海戦で、連合艦隊機動部隊を最後まで護衛した。その後海面に不時着し、4時間の漂流の末に救助される。

 ▼戦闘機パイロットとして日中戦争で初陣を飾り、真珠湾攻撃やガダルカナル島の戦いにも参加した。撃墜した敵機は19機に及ぶ。半生記の『最後の零戦乗り』にある通り、「海軍航空の誕生から終わりまでを見届けた」人物である。

 ▼もっとも戦後長く、「零戦乗り」の過去について口を閉ざしてきた。空戦で敵機にとどめを刺す寸前、目の当たりにした相手の苦しそうな顔が忘れられない。「人殺し」としての罪悪感にとらわれていたからだ。

 ▼郷里の長野市内で、幼稚園の園長として穏やかな日々を送っていた。その気持ちに変化が起こる。きっかけは、1991年に起きた湾岸戦争だった。「テレビゲームみたいだ」。ニュース映像を見た若者が漏らした感想に衝撃を受ける。

 ▼原田さんは、何度も生死の境をさまよった自らの悲惨な体験を伝える決心をする。今月3日、99歳の天寿を全うした原田さんは講演で、戦争の恐ろしさと平和の大切さを訴え続けた。ただ、納得できないことが一つある。

 ▼昭和12年に日本軍が中国・南京を攻略した際、原田さんは海軍航空隊の一員として現地にいた。記憶にあるのは、露店が立ち、日本兵相手に商売を始めた住民の姿である。「南京大虐殺は信用できない。もしあれば、中国人はわれわれに和やかに接しただろうか」。小紙連載「歴史戦」の取材に語っている。




以上。引用終わり。
http://www.sankei.com/column/news/160505/clm1605050003-n2.html



18歳になれば選挙権が与えられるので、高校生も教科書の勉強ばかりやるのではなく、新聞やニュースくらい積極的に見てもらいたい。

歴史ばかり学んだところで時事問題はさっぱりだとすれば、それは勉強のための勉強でしかない。


受験生だから勉強するというのは間違いではないが、それが全てだとしたら、いくら子どもとはいえ、つまらない人生を送っていることとなろう。




さて、上記の意見を読んで、言っておきたいことは2つ。


まず、戦争の悲惨さと平和の大切さ、というのは、よく考えた方が良いと思う。

これは、歴史でいくらでも学べる。

そして、この点については、みんな争う必要のない論点だと思う。


ただ、それを達成する手法が、人によってかなり違う。

人間社会というのは、まったく一筋縄ではいかない非常にやっかいなものであるが、その人々を何とか平和で秩序ある社会に保つためにはどうしたらよいか、


それはよく考えた方が良いと思う。



もう一つ。

南京事件については、日本の名誉を著しく傷つけるものである。

その真偽を、ぜひ自分の目と耳で判断してもらいたい。


私は大学2年生の時、中国に留学した。1994年8月のことである。

その寸前で、当時の法務大臣が南京事件はなかったと発言した。

私はこれに憤慨した。自分が中国に行く前になんてことを言ってくれるんだ、と。


私は、当時、コテコテの左だった。

南京事件についても、大学の図書館でかなり読んだ。


しかし、今はなかったと思っている。

そう信じるに至るまでさまざまな本を読んだが、自分の洗脳が解かれていく過程というのは、それこそ本を持つ手が震えた。すごく怖い瞬間だったのを、まだ記憶している。


現在は、私は南京事件はなかった、と確信している。


私にとっての南京事件は、1927年の事件であるし、

南京大虐殺は、曽国藩が起こした19世紀の事件のことを意味している。



日本軍による、いわゆる南京大虐殺は絶対に信用できない。


私も全く同意見であるし、

これを広めようとする中国共産党の動き、

または日本の市民団体の動きは、

真実と正論でもってつぶすしかないと思う。