ある商社の社長が商談で米国に行った。英語ができないので日本語でスピーチし、部下が訳した。締めくくりくらいは英語で、と思い、「ワン・プリーズ(One please)」と言って終えた▼意味がわからなかった部下が後で社長に聞くと、得意げに「分からんのか。ひとつ、よろしく、だよ」。ロシア語の同時通訳として知られた作家の故米原万里(よねはらまり)さんが、デビュー作で紹介している。実話だという。耳にした方もおられるかもしれない▼いま「グローバル人材」の育成がしきりと叫ばれているが、この社長は当てはまりそうにない。英語を自在に操る。それは今日、有為な人材と見なされるための必須の条件であるかのようだ▼政府の教育再生実行会議が先日、安倍首相に提言を渡した。「世界に打って出る人材」をつくる。そのために英語を小学校の正式な教科にすることなどを唱えている。自民党も先にTOEFL(トーフル)を大学受験の要件とするよう提言した▼政府や自民党がどんな人材をつくりたいのか、いま一つあいまいだが、英語教育の見直し論自体はずっと以前から繰り返されてきた。学校での教え方がよりよくなり、学びやすくなるなら、それに越したことはない▼ただ、語学の決め手は実は日本語だ、と米原さんは書いている。〈日本語が下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない〉。大きく頷(うなず)きつつ、英語ができない身としては項垂(うなだ)れもする。



以上。本日の朝日新聞、天声人語より。





今ひとつよくわからない文だ。


何が言いたいのだろうか。天声人語は、こういうのが多い。



とにかく、私は以前から言っているが、小学校教育に英語を導入するのは反対だ。


理由は上にあるとおり、やはり私も語学力の決め手は日本語だと信じているからだ。簡単に言えば、外国語能力が母国語能力を上回ることは決してないのである。



小学校4年生にやらせるべきなのは、漢字と計算である。外国語なんか不要である。



あと、上の文では、社長さんが One please, と言ったことに対して、


「グローバル人材」の育成がしきりと叫ばれているが、この社長は当てはまりそうにない。


とあるが、私はそうは思わない。



これでいい。この人こそ、グローバル人材じゃないだろうか。



外国語を使うこととは、恥をかくことである。人から笑われることである。


ミスを幾度となく繰り返して、そしてそのたびに直していくことだ。


ミスを恐れて何も言わないくらいなら、帰国した方がいい。


英語は下手でも構わないから、とにかく積極的に、コミュニケーションを取ろうとする姿勢が大切だ。


締めくくりを社長さんは英語で語ったが、聞いていた人はさすがに意味はわからないだろうけど、これで敵意を持つことは絶対にない。むしろ、英語を使ったことに親近感を持つのではないだろうか(その前に、聞いている方は、それが英語かどうかもわからなかったかもしれないが…)。



私は、コミュニケーションを取ろうとする姿勢こそ、グローバル人材に絶対に必要だと思う。小手先のテクニックじゃない。要するに、気持ちだ。





英語ができないとグローバル人材ではないとか、そういう発想こそ、アホの元凶だろう。


国際の場で英語が出来ても誰も褒めてくれない。国際の場こそ、「何が出来るのか」、が問われる場。それは英語じゃない。英語なんか、単なるコミュニケーションの道具に過ぎないのだから。





それにしても、日本人の英語コンプレックスはヤバイんじゃないだろうか。


できないからやろうとするのは、根性があるから良いという見方もできるかもしれないが、それよりかは日本人の場合、マジメさから来る強迫観念という感じがする。



もう、いい加減にして欲しい。




グローバル人材を育てたいのなら、小学生には漢字と計算をやらせなくちゃ。


英語なんかやらせていたら、それこそグローバル人材は育たず、日本の国力は今よりもずっと低下していくこと間違いナシだと思われてならない。


それとも、日本の国力低下を図る勢力が、自民党内部まで浸透しているのだろうか???