先日、7日の日曜日、もう一週間も前のことだが、チャンネル桜の水島社長の講演会に出席した。
というか、自分は主催した側で、司会をさせてもらった。
▼講演会のもよう
そして、下はそのあとの懇親会の際の写真。

社長は、前日まで北海道におり、荒天のため飛行機が飛ばず、来られるのか来られないのかわからない状態だったが、何とか開催できて、本当に良かったです。
社長はこんなことをおっしゃっていました。
仮定の話だが、将来、もし日本政府が日米安保条約を廃棄し、中共政府と日中安全保障条約を日米安保と全く同じ条件で結ぶとするとどうなるか、想像してみていただきたい。
中共の人民解放軍が、沖縄や日本本土に進駐し、おもいやり予算もがっぽり貰って元の米軍基地を全部使用するということになるのである。
これを想像すれば、戦後六十数年経っても、他国の軍隊が自国内に数多く存在している異常と屈辱がおわかりいただけるだろう。
戦後日本の六十数年は、日本の歴史始まって以来、初めて外国軍隊が自国領土に駐留し続けた唯一の時代である。
まことに日本人として、先祖に申し訳なく、いたたまれぬ思いと屈辱を感じるのである。
これを恥とも屈辱とも感じぬほど鈍くなった日本人の精神的貧困化こそが、戦後日本の絶望的状況の本質である。
「私のいるところにドイツはある」
ナチスドイツから米国に亡命したトーマス・マンは自分の部屋の壁にこの言葉を張り付けた。
牽強付会だが「他国の軍隊のいる日本に日本はない」のだ。
この原初的な恥と誇りの感覚を私達はもう一度思い起こすべきである。
その延長線上にのみ、本当の意味での日米同盟強化があり、核武装を含む自主防衛力の確立や世界平和に貢献する未来が見えてくるのである。
以上。
私たち草莽保守は皆、「私のいるところに日本はある」という精神を持つよう、社長はおっしゃられていたのが、自分には強く印象に残りました。
私は、将来世代、つまり、子どもや孫に対して、
今の日本を誇らしく語れないし、むしろ恥ずかしく思う。
だから、将来世代に対して誇れる日本を残すべく、頑張りたいと思う。
自分さえ良ければどうでもよい、
こういう日本人が増えてしまったのは、教育のせいだろうか。
義を見てせざるは勇なきなり、というコトバがある。
勇なきなり、なら、まだ随分マシだろうが、国際の場ではそんな甘い結果ではすまない。
将来世代の日本のために、私は頑張りたい。
水島社長は本にサインしてくださったのだが、「草」と書いてくださった。
社長も自分も同じ早稲田だが、早稲田の在野精神というコトバを思い出した。
在野にある草。
私は、在野の草であることに、プライドを持ちたい。
そして、社会は必ず変えられると信じて、行動していくことにする。