橋下市長の「(竹島は)共同管理の話に持っていくしかない」発言に批判殺到! ネットユーザー「何を言っているのだ」「ダメだこいつ」

新党を立ち上げたばかりの大阪・橋下徹市長の発言が、物議をかもしている。橋本市長は2012年9月23日に開かれた公開討論会で、島根県・竹島の問題に触れ、韓国と共同管理する認識を示したという。これに対して、インターネットユーザーから批判が殺到し、「何を言っているのだ」や「ダメだこいつ」などのコメントが相次いでいる。

http://rocketnews24.com/2012/09/24/250673/




高校生のころ、自分もこんなことを考えた。


あの頃は、日本もバブルだったし、でもソ連は金がなかったから、シベリア開発を日本がするかわりに北方領土を返してもらえば良いと思ったが、


それが実現しなくても、北方領土を共同管理すればよい、なんてことを考えたのである。



実現すれば、それは人類初の試みだろうし、


両国民がビザなしで対等の立場で入れる地域というのは、どれだけスバラシイか、


なんてことを空想したものだった。




あれから、何年かたって、


自分は後退したのか、それとも前進したかはわからないが、


今では領土の共同管理なんてありえないと思っている。






第一、司法・立法・執行管轄権の競合はどうするのか、という問題があるし、


あとは、やはり日米開戦以前の状況を考えると、というのも、自分は西尾幹二の影響を強く受けており、日米関係にいたっては人種という要因がものすごく、とてつもなく大きかったと考えているのだが、


違う人種が同じ土地にすむことの難しさを想像できる。


たとえ、共同管理することとなったとして、日本人とロシア人が日露両国の干渉をさけ、独自の法でもって統治したとしても…、


それは、独立国家となる、という意味に同義だが、


国民国家の枠からはみ出して新たな試みをしたとしても、日本とロシア人が問題なく共存できるかと言うと、


それはできないと思う。


それほどまでに人種の違いを超えるのは難しく、



仮に人種の違いを超えられるとしたら、それ以上に何か異質なものをはっきりと認識出来た時だろう。


つまり、火星人が武器持って攻めてきたら、パレスチナ人・イスラエル人も、協力できるかもしれない。



もうちょっと現実的に言うとしたら、


あと100年、200年たって、人類が宇宙に行ったときに、


地球に住む人がその外に異質な社会を実感できたときに、


国家主権の絶対性は緩まっていくのではないかと思う。





さて、前置きはここまでとして、



橋下市長の言いたいことは、自分がいつか通った道な気がしたし、


だから何となく分かった気がした。


何よりも、解決したいんだと、そういう気持ちはよくわかった。



ただ、自分としては、領土を守れとか、愛国的な理由を抜きにして語れば、


客観的に人類学的に見て、無理な話だと思った。



まずは、マインドの問題としてムリで、


次に、システムの問題としてムリで、


仮に、例えばフォークランド諸島でイギリス・アルゼンチンの人たちに共同管理を押し付けたとしても、


ゴラン高原、カシミール、そのほかどこで同じことをしても、


それはきっと不幸な結果をもたらすだろうと考える。


竹島も例外ではない。




それに、日本と韓国は全然違うし、


地理的な近さはあっても、価値観は大きく異なる。


たとえば『文明の衝突』の著者サミュエル・ハンティントンは日本文明を大陸アジアと明確に分けているし、


海外の学者でも、その違いが分かっている人は多い。



価値観が違う以上、共同で何か出来るという発想は捨てた方がいい。


聞こえはいいが、


ただそれは現実をあまりにムシした理想論にすぎない。






「じゃぁ、どうしたら良いのか」


と言われるかもしれないが…、



取り返すための努力を今後するだけのことである。


時間はかかるかもしれないが。


冷徹な国際社会では、正しくても生き残ることはできない。


だから、正しさに力を伴わせなくてはならない。


力がなければ、正論を語っても、滅びるのみである。




戦後、日本では厭戦気分が蔓延しているが、


自らの正しさのために戦うことができなければ、


国際社会の不正に目をつぶるだけしかできないのである。



私は諸外国の不正を認めるくらいなら、


不正を認めず正義を貫く努力の方が大切であると考える。