只管朗読のススメ 1 の続きです。


長いのでかいつまんで書きます。また、わかりやすいように、本文に若干の変更をほどこしました。



『あなたは、どうして逆立ちができるようになったのでしょうか?


 練習したからです。あたりまえですね。人間歩くのは誰にでも自然に出来るようになりますが、逆立ちとなると、かなり意識的に練習しないとムリでしょう。ですから、全員が出来るわけではないのです。


 ところが、不思議なことに英語となると、練習が必要だという当たり前のことに気がついていないというか、気づいていても頑固に認めたがらない人が多いですね。


 おまけに、みなさんの懐を狙う英語ビジネスが、「英語なんて簡単です。このテープを使えば、明日とは言わず、3分後からペラペラです」なんて宣伝する。英語ビジネスがどういう主管でせめて来て、それに対して私がどうおもっているかは言いません。ともかく、英語は自然に出来る、理屈や練習はいらないと思っている人、主張する人がいるわけです。


 日本人は、「自然に」というのが好きですね。「習うより慣れろ」なんて諺もよく耳にします。理屈をこねたり、意識的に練習する必要などない、やっているうちに自然にできるようになる、というわけです。


 私に言わせれば、「習うより慣れろだと?そりゃ逆さまだろうが。頭であれこれ考え、体を使って何回も練習して、自然にできるようにしろ、というのがまっとうだろうが」とでもなります。



 テレビで見る体操選手は、床、平行棒、吊り輪、平均台と、さまざまな場所で見事な逆立ちを見せてくれます。文字通り、流れるように、苦もなく、つまり努力しているように見えずに演技しているわけです。


 しかし、これはあくまで「結果としての自然に」です。彼ら、彼女らのその自然な演技の裏には、並大抵ではない、意識的かつ綿密な努力が積み重ねられているのです。腕や肩、お腹の筋肉をある水準以上に鍛えなければ、鉄棒の上にすら上がれません。


 ところが、英語となると錯覚する人が続出します。「自然に」をプロセスにあてはめて、努力せずにできるようになると考えると、ストンと落とし穴にはまります。


 逆立ちは自然にはできません。外国語としての英語も自然にはできません。日本語の初歩的な読み書きですら、練習の結果です。』




 以上です。


 

 外国語としての英語を、習うより慣れろ、と考えるのは、大間違いでしょう。


 慣れるまで習え、が正しいです。


 

 以前、当塾にいた講師マキモトがこう言いました。私にとっては忘れられないコトバであります。



 「子どもは反復練習がとにかくキライである。

  が、反復練習は何より大切である。」



 私は、英数塾をやっていまして、


 「気の遠くなるほどの反復練習」しか、信じられません。


 それ以外に、習得する方法はないのです。



 で、気の遠くなるほどの練習も、やはり「困難は分割せよ」ですから、少しずつの課題を継続的にやっていくのがベストです。


 こうなると、あきらめないで勉強する姿勢、がもっとも大切ですね。


 諦めずに反復練習です。




 英語はとにかく、スラスラ読める英文をひとつひとつ作っていく作業です。


 これができると、例えばセンター試験での速読ができるようになりますし、


 速読ができるようになれば、リーズニングも的確にできるようになり、失点しなくなります。


 

 

 あと、最後に。


 本屋さんで受験参考書を探していたところ、



 


 こんな本が有りました。


 … I got speechless. って感じです。東大英語長文を読む、というのを、どう定義しているのでしょうか。


 こういうタイトルの本を見るたびに、なんかイヤな気分になるというか、


 まぁ若い頃の私なんかは、こういう本をたくさん買って騙されていますので、気分悪いです。



 新聞なんかを見ていても、スピードラーニングだとか、聞いているだけでできるようになるとか、新感覚とか、フィーリングとか、そういう安直な手法が多く提示されていますが、


 今となってはこういう同業の姿勢が大嫌いです。



 英数塾DJとしましては、


 1.ボキャブラリを覚える(語源を大切にする)

 2.英文構造をカンペキにできるようにする(句・節のマスター)

 3.英文を前から読んで理解する(反射神経で理解するかのごとく)


 こういう地道でマジメなメソッドでやってきましたし、これからもやっていきます。




 つづく。