橋下大阪市長、自民の改憲案に苦言 「心つかめない」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120502/plc12050222070017-n1.htm


大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は2日、自民党が発表した新たな憲法改正案に関し「参院について何も触れていない。それでは国民の心はつかめない」と苦言を呈した。同時に「参院は国会議員の既得権で、ここに触れるかどうかで有権者に意気込みが伝わる」と強調。憲法改正を議論する際は統治機構を焦点にすべきだと指摘した。

 自身の憲法観について「憲法は思想書ではなく、基本的には価値中立的で、権力者の権力を縛るためのものだ」と表明した。市役所で記者団の質問に応じた。



以上。引用終わり。



今日は、憲法の日です。自分なりに、日本国憲法について考えてみました。



ところで、橋下さんは、自分は個人的に好きな人物ではあるのですが、別に権威ではないと思っています。


なので、上のニュースは、ニュースバリューは低いと思うのですが、食いついてしまいました…(涙




上の橋下市長の見解について、2つほど。


自民党の改憲案は、参院について触れていない、とありますが、個人的には参院について触れていなくとも、心つかめていると思います。


個人的な考えですが、参議院不要論に同意しています。ですので、参院について述べる必要はないと思っています。もっとも、参院が既得権であって不要なもの、と市長が考えているのであれば、全く同意ですが、どうなんでしょう、上のニュースからは、そこがわかりません。自分で調べなくてはなりません。



あと、もう一つ。「憲法は思想書ではなく、基本的には価値中立的で、権力者の権力を縛るためのものだ」というとこと。これも、本当はどういう趣旨なんだおろうか、と思ってしまいました。



確かに、憲法というのは権力機構を3つに分散させて一極集中を防ぐためのものです。それが統治機構に記されています。ただ、私としては憲法改正は統治機構について述べるよりもむしろ、安全保障の面から述べて欲しいと思っています。



国家第一の役割は、国民の生命・安全と、財産を守ること。そのための統治機構であって欲しいと思っています。


前文と9条は、上の目的に全く適っていないです。



あと、私としては、現代の民主主義において、その権力がもっとも縛られなくてはならないのは、実は国民であると思っています。三権と、マスメディア、そして国民、もっとも怖いのが国民で、次がメディア、その次が国家権力です。要するに、国家権力は、もう十分怖くないです。




ヤバイのは、国民、じゃないでしょうか。


なぜなら、ひとつを例にとれば、あまりに膨らんだ国の借金です。国民が対価を払っていさえすれば、借金がこんなに増えないのです。


つまり、民主主義において、国民がもっとも暴走するのであって、一番面倒くさいです。この権力を抑制する憲法でなくてはならないと思っています。



昔からの私の持論ですが、65才以上は、選挙権を失っても構わないと思っています。


もっと言うと直接国税をいくらか払った人だけが選挙権を持って国家運営しても構わない、と思っています。


参議院のかわりに、貴族院でもあったほうが、まだマシじゃないかとも思います。



要するに、国民であれば自動的に選挙権付与、というのは、危険だということです。乱暴に言えば、人は一般的にバカなので、そんなバカな人よりも優秀なエリートが数人で運営した方がまだマシということです。


かなり乱暴な意見かもしれませんが、マクロ経済学の父ケインズも、似たようなことは言っています。



とにかく、

仮に自分が65才以上であったとしても、参政権はいらないし、年金さえいらないと答えるでしょう。まだ自分で仕事するでしょうし、また支えてくれる家族もいるはずだからです。



高齢化社会が進むに連れて、国家に対する要求は増えてくると思いますが、その全てに国は応えられません。今のうちに、歯止めをかけておく必要があるのではないでしょうか。今ならまだ、高齢者の比率は少ないのです。





私の根底にあるのは、日本を良き社会に、そして、国際社会の中で責任を果たせる国家にして欲しい、という点です。



それが故の結論が、9条改正と、国民の義務明記、人権の抑制、です。自衛軍の存在、集団安全保障なんてのは、基本中の基本です。


あと、天皇は女系でも構わないと思っています。そして、元首であると思います。


憲法裁判所は…、うーん難しい、けど、なくていいかなぁ…