原発に関しては、私は一貫して「賛成」の立場を取ってきました。なぜなら、必要だと思うからです。
ゴルゴ13の「2万5千年の荒野」というタイトルの作品は、若い頃読んで、すごく印象に残っています。原発事故を扱った作品ですが、次のようなやり取りがあります。
「じゃあ、なぜ事故が起こったんだ」
「いずれ石炭や石油は枯渇します。今更、木炭やローソクの生活に戻れますか。原子力は絶対に必要なのです」
「それでは答えになっていない。太陽熱や風力発電もあるじゃないか」
「それらの研究も大切です。しかし実用まで100年かかります。100年どうしますか。その点、原子力発電はすでに実用化され、全電力の20%をまかなっているのです」
「技術ではなく、それを扱う人間の問題だというんですね」
「そう。技術者の問題です。我々のやるべきことは、アバリーのような素晴らしい技師の養成なのです」
「しかし、人間のやることだ。また事故は起きるだろう」
「ないとは言えません」
「じゃあ、いったいどうすればいいんだ。答えてくれ」
「そう。我々はどうしたらいいんでしょう。どうしたらいいんでしょうか」
この問いかけで、作品は終わっています。
ちなみに、ゴルゴ13は、この作品では、すごく人情味にあふれている点も、印象的です。必死に生きようとする人に対して、デューク東郷は、ときおりこのような優しさを見せるのです。
さて、原発。
必要だと思っていたのです。さっきまでは。
今日、市駅前で原発反対のビラが配られていたので、もらいました。
しかし、ビラを見ながら、自分はどうなのかと、しばらく自問自答しました。
もしも、明日から水道水が飲めないとしたら、
もしも、土地から作物が栽培できないとしたら、
どういう気分になるのだろうか。
なんか、それを考えるだけで、本当にぞっとします。
私だったら、もうその土地を捨て、他に逃げるという選択をするしかないと思うのです。
狭い日本ですから、逃げるところも限られるかもしれませんが。
今の日本人の生活を支えるのに、原発が必要だというのは、わかります。
私一人の生活を支えるのにも、相当な電気が必要な、環境にやさしくない生活になっているでしょう。
でも、生活レベルを落としてでも、原発はなくす方向で検討しても良いのかもしれない、
そんな風に考え始めています。
自分の子どもたち、孫たちのために、きれいな自然環境を残してあげること、
これは、どんな発明や技術革新よりも、価値があるものではないかと、なんとなく感じ始めています。
まだ、考えはまとまっていないのですが。