「2×8ならタコの足は2本?」(朝日新聞より)


耳が3本生えたウサギや、足が2本伸びた宇宙人のようなタコ……。吉川先生の算数には、なんともへんてこな動物が登場する。手作りのパネルシアターだ。引き算や足し算、かけ算などに応じていろんなキャラクターが移動する。

 「場面が変化することで、視覚から算数を学んでほしい」

 3年4組はこの日、2年生で習ったかけ算の意味を再確認することになった。以前、「あめを3個買います。1個5円のあめを買うと全部でいくら(何円)?」という問題に、「3×5」と答えた子がクラスの半分以上いたからだ。これだと、「3円のあめを5個買った」ことになってしまう。

 「何のいくつ分」という考え方を分かってもらうのが、先生のねらいなのだ。

    ◇

 みんながパネルシアターを見るのは初めて。カエルやテントウムシ、信号機、ミカンなどの中から、先生がまず選んだのはピンク色のウサギ。ぺたぺたとパネルにくっつけていくと、「かわいい!」「なんではりつくの?」。

 ウサギを3羽貼った先生が問いかけた。「ウサギが3羽います。ウサギの耳は二つずつあります。耳は全部でいくつでしょう。式はどうなりますか?」

 解答用紙に真剣に向かうみんなの間を回り、「3×2」と書いた子どもたちを見つけた。教壇に戻った先生は「3×2にすると、いったいどうなるでしょう」。最初のウサギ3羽をはがし、別のウサギ2羽を貼った。

 新しいウサギにみんなはびっくり。頭から耳が3本生えている。しかも、しかめっつら。「ありえない」「こわいよー」。悲鳴で教室は大騒ぎになった。

 「3×2だと、耳が3本生えたウサギが2羽、ということになるよ」と先生。

次は、タコを使って、同様のかけ算に挑戦だ。

 「タコが2匹います。それぞれ足は8本。全部で足は何本?」。「2×8」と書いた子どもたちを見つけた先生は、しめしめという顔で、足が2本のタコを8匹、パネルに貼っていった。「宇宙人みたい」「タコじゃない」。あちこちでつぶやきの声が上がった。

 「2×8でも8×2でも答えは同じ。でも、意味は全然違うよ。文章をよく読んで考えてとくことが大切だね」と先生は話した

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 最後に、代表してだれかが問題を作ることに。手を挙げた男の子が選んだのは、真っ赤なテントウムシ。パネルに7匹貼った。「テントウムシが7匹います。テントウムシには足が6本あります。全部で足は何本あるでしょう」

 今度はみんなが「6×7」と答えられた。

 「ちなみに7×6だとどうなるかな」と先生が言うと、出題した男の子は棒状の黒いフェルトをテントウムシの足の部分に一本ずつ追加していった。先生は「足が7本になっちゃった。テントウムシは昆虫の世界から出て行かなければいけなくなっちゃうよね」。

 「かけ算の意味って、すごく大切。数字の順番でなく、何のいくつ分か考えてとくのを忘れないでね」。みんなは先生と約束。「前と比べて、かけ算の意味が分かるようになった人?」。そろって手が挙がった。(有山佑美子)

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html



色々な工夫の仕方があるものですねぇ。

式の意味を考えるのは大事ですね。

でも、「こう考えないとダメ」という刷り込みだけは気をつけないといけません。


じゃあ、8×2を「8本の足×2匹」と考えたとして、本当に考える力のある子は「2×8だったらどういう意味(文脈)になるの?絶対おかしいの?」とおそらく考えます。それに対する答えも用意できてこそ教育の意味があるでしょう。


じゃあ、おまえだったら2×8の式の意味をどう教えるんだ??と聞かれそうですが、

僕なら


「海にタコが2匹、頭だけ出しています。海中のタコの足は見えないので直接数えられません。さて、海中にこの2匹のタコの何本の足があるでしょうか?」

という問題に言い換えて、まず2匹のタコがいることを考えます。まず、2匹、です。その後に、1匹ずつの足の数を一生懸命思い出します。え~と、6本だっけ?7本だっけ?いや、やっぱり8本だ!!日本(ニホン)のタコでも8本だ!!そういえば、最近タコ食べてないな~なんて思いながら、タコ1匹ずつおのおのに足が8本ずつ生えているので、

  2×8=16本

ですね。(数Aでやる場合の数の「樹形図」のイメージです)

なんだよ、それ、やっていること同じじゃん!!と思った方。

その通り。同じことなんです。

それが掛け算が「可換」(順番を入れ替えても結果が同じ)ということなんです。


文脈なんていくらでも用意できるので、2×8を「タコの足2本×8匹だからイマイチ!」というのはちょっとなぁ~とは思わなくもないですが、いまは「何の何個分」という考え方を身につけさせることを優先しているのでしょう。

そういう意味では、身につけさせることをまず1つに絞っているのはすばらしいと思います。


ただし、教育なんて、「方便」だと思います。ある学校の先生がこういうやり方はダメ、といっても、他の学校の先生は同じやり方でも高評価だったりします。これは、塾を含めてよくあることです。生徒は何でもかんでも「先生」の言うことに従っていればいいわけではないので、自分で試行錯誤しながら取捨選択していきましょう。

もっというと、勉強に関しては宿題、課題や教材について「本当に力が付くのかどうか」ということに対してシビアな目でみることを心がけていけば、徐々に取捨選択の精度も上がってくると思います。

(追記)

掛け算に「意味」を見出しすぎると、抽象度が高くなったとき(色々文字が入ってきたとき)に逆効果かもしれません・・・。

というか、掛け算に意味なんて作らないほうが、、、という気もしなくもなくなってきました汗

この辺はよく分からないですね。みなさんはどう思いますか?