例えば、気に入らない校則、『男子は坊主頭にせよ』みたいな、そういったアホな校則があって、どうしてもそれを受け入れられない場合、それを変えたいと思う場合、みなさんはどうしますか?
1.ルールはルールだから、守ったうえで、ルールを変えるべきだと主張する。
2.おかしなルールは守れないから、守らないで、変えていくよう行動する。
この問題は、私がずっとずっと先延ばしにしてきて答えを出してこなかった問題であって、それを今、尖閣ビデオ流出と関連して考えています。守秘義務は守るべきだったのか、と、それを破ることが評価できるのか、という点です。
法律の前提となるような話だと思いますので、法学部、まぁ社会科学に入っていく人は、真剣に考えてもいいんじゃないか、と思います。
前にも、「公益通報者保護法」のところで書きましたが、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおって死んだのは、やはり人々がすむ社会にあって、利害がひどく対立する場にあって、ルールを守るというのは非常に重要なことである、というのを教えてくれていると思います。個人的に、この考えが法律のベースになっていて、法の支配、という考えは、すごくすごく大切なものであると、思っています。
だから、法の手続きを無視するというのは、本当に国益を揺るがすような政治判断、でもない限り、してはいけないことだと思っています。船長釈放は、法の支配、をあまりに軽々しく犯した点で、自分としては、許せないことでした。
ルールは守るべき、と思っています。今までもそうだったし、おそらくこれからもそうだと思います。
ただし、このような見方をしなくてはならないことも、忘れるべきではないでしょう。
例えば、ナチスドイツの下では、悪法、があった。そして、法律に基づいてユダヤ人を殺さねばならなかった職務にあった人たちは、ユダヤ人を強制収容所で殺しました。「悪法もまた法」ならば、これは正当化すべきなのでしょうか。仮に良心に反しても、従うのが筋なのでしょうか。自ら毒杯をあおるのと同じように、他人に毒杯を飲ますことを強制すべきなのでしょうか。
ナチスドイツは「人種」という理由だけで、人を差別し殺しましたが、全く同じように共産主義の国々は「階級」という理由だけで、人を差別し殺しました。ソ連・中国・カンボジア、これらはナチスドイツ以上に人を殺しています。これらの国にいた人は、やはり自分の国が正当化すべきことは、逆らってはいけないのでしょうか。
実際、ナチスドイツの下で忠実に職務をこなした結果、ユダヤ人を殺した罪で、戦後、イスラエルの諜報機関に地球の裏側まで追いかけられて、つかまって、イスラエルで処刑された人はたくさんいます。自分の国家の職務に忠実だった人を、イスラエルは処刑しています。
これはこれで、単なる復讐にすぎないのかもしれませんが、やはり殺されたドイツ人に対してもあまり同情できません。同じ論理は、イスラエルの諜報機関の人にも当てはまるから、です(つまり、悪法に忠実だった、だけ)。
ちょっと極端な例だったかも知れませんが・・・、悪法もまた法、という論理は、私としては限界があるのではないか、と思い始めています・・・。ルールは守らねばならない、が、ルールを守ってはいけない場合がある、という気もします。
今回の尖閣の流出については、実定法上「有罪」です。公務員としては、決してやってはいけないことです。今後こんなことが軽々しく連発したら、それこそ困ります。
しかし、それをなお肯定する事情があった。政府に重大な錯誤があり、それが連発して起きており、国民への裏切りだったから。だから、
歴史的には・・・、評価される結果となることと思ってます。
今回の事件(流出)を良かったと言っている人のことを仮に「不健全」とでも言おうものなら、それは、第二次大戦中、杉原千畝がした行為も、同じように「公務員として失格」くらいの評価を与えるのではないでしょうか。
最初の問いに戻りますが、1か2か、ルールは守った上で変えていくべきか、変えるつもりである以上守る必要ないか、それは、ケースバイケースでしょう。原則、ルールは守る必要があります。
本当にやむを得ない場面でのみ、2、だと思います。ただ、2、を拡大解釈すると、それはテロリズム容認という発想にもつながっていくので、本当に慎重な判断が必要です。
ところで、アニメ『コードギアス』でも、同じような視点で見ることができる、と思います。ブリタニア帝國に対して、ルルーシュとスザクのとる方法は、真っ向から対立していますね。あまり詳しく書きませんが、その視点で見ると良い、と思います。
ちなみに、私はルルーシュが好きで、スザクは・・・、嫌い、と思っていたのですが、実はこのあたりの感情こそが、正直な自分の気持ちかもしれない、と思ったりもしました。