いつも子どもたち相手に説教口調かもしれないので、たまには自らへの説教というか反省ってことで、ちょっと書いてみようと思います。


2008年にノーベル物理学賞をとった、物理学者・益川敏英博士の言葉です。



 試験のシステムは複雑化しすぎです。
 もっとシンプルでいいはず。
 僕たちのころは問題は数行、あとは自由記述でした。


 試験問題も、本当に面白い問題、
 解いた後で何かを得られるような問題が作れるはずなんです。
 いくつもの問題を作りわけるエネルギーを、
 もっと良い問題を一つ作ることに注ぐべきです。


 益川 敏英



ノーベル賞受賞者は、いつも何かしら日本の教育への箴言(しんげん)みたいなものがあるのですが、教育者として、反省すべきところが多いと思うのです。


で、ちょっと反省してみます。



もしも子どもたちが、3日考える必要のある問題があったとしたら、それは、問題作成者として、冥利に尽きると思います。


なにより、子どもたちは、その問題を3日考えたとしたら、一生忘れないインパクトがあると思います。



答えが出る出ない、よりも大切なこと、それは、考える、ということであって、そのあたり、問題を作るときに強く意識しなくてはならないと思うのです。


確かに、問題をたくさんやらせることは大切で、例えば昨今の大学入試の英語の問題は、短時間でたくさんの問題をてきぱきとこなすことが求められています。東大でも、センターでも、この傾向は同じです。


しかし、だからといってその傾向の対策ばかり塾で追っていたら…、なんか誰かが言っていた言葉だったと思うのですが、教育汚染、って感じになる気がします。


理科や社会は、すごくつまらない「勉強」になってしまうのです。



面白い問題をひとつ、解いたあとでも何かが残るような問題、


仮に解けなくても、時間をかけて解きたい問題、



そんな問題を作ることが、一教育機関としての使命だという気がしました。



学習塾として、大学を合格させるという使命がある以上、全面的にそれを導入することはできないかも知れませんが、


時にはそのような目先の目標よりも、もっと人生につながる大きな目標のために、



時間をかけて答えを出して欲しい、すごーくすごーくシンプルな問題を作ってみたいと思います。



なんか、思い出すと、アメリカの大学では、Take Home Exam ってのがありました。家に持って帰ってやる試験のことです。


「だったら、人に聞いて答えを書いてしまえばいいじゃないか・・・」


ってことになりますが、その通りです。誰に聞いたっていいのです、その道の研究家に聞いたって、何人から意見を聞いたって、何冊本を見て書いたって、別にかまわないのです。簡単に言うと、人脈は実力ですし、調べる能力も実力ですし。


こういう試験は、調べる能力と、生徒がどう考えたのか、を見ていた気がするのですが、


日本ではあまりない試験のタイプである気がします。でも、思考力、を問うという点では、良いタイプではないかと思います。