東大生のノートは本当にキレイ? 

いや、そもそもノートを取ってない。


http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=IT20100308072&cc=07&nt=14



これは現役東大生が書いたコラムですが、とても面白く、夢中になって読んでしまいました。

ヒマがあったら、読んでみてほしいです。


このコラムは『東大合格生のノートはかならず美しい』というタイトルの本に対する反論です。

この本の紹介は、下の通りです(こっちは、別に見なくてもいいや)


http://www.bunshun.co.jp/toudai_note/rule/index.html



さて、ノートの取り方ですが、キレイなノート、美しいノートなんか、作る必要はないですね。そのあたり、間違ったシグナルを送りそうで、だから、『東大合格生のノートはかならず美しい』に対して反論のコラムを書いているわけで、自分もこのブログを書いているのですが、



教える立場からモノを言わせてもらうと、


ノートをしっかりとっている人、板書のすべてを盲目的にノートに書いている人、に対して不安を感じます。本当に理解しているのか、と。


全くノートをとっていない人、それもまた「おまえ本当に大丈夫か?」と多少不安になるのですが、


ただ、ノートをとらなくても、前をじっと見て話を聞いている生徒は、ちゃんとこちらの言うことをわかっているんだろうな、と思います。



あたりまえですが、ノートをとることが勉強ではありません。ノートは、復習できる程度にとってください。授業中にすることはノートを作ることではありません。話を聞くことであり、あとでもう一度見ておきたい重要な情報だけはノートにとればいいです。授業のノートはそれでかまいません。



ただし、たとえば社会とか理科は、これ一冊さえあれば大丈夫、という全てを網羅したノートがほしいです。ただし、そういうものもゼロから自分が完成するよりも、ある程度出来上がった市販のノートや参考書に、自分のコトバでいろいろと余白に付け加えていくとよいでしょう。


だってゼロから作ったとしても、できたものは市販のものに劣りますし、手間を考えれば買ったほうがずっといいです。



とにかく、


勘違いしてほしくないのは、ノートは目的ではなく、手段なのです。キレイなノートを作っても、学力が上がらないのなら、ノートは作らないほうが良いですよね。


結局、ノートの取り方というスタイルも、これが正しいというものはないので、自分のスタイルを早く作る必要があるのです。どうノートを取るか、ということも試行錯誤して自分で気がつかなくてはなりません。