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本田稔

1942年に鹿屋海軍航空隊に配属され、1944年には精鋭部隊である第343海軍航空隊に配属され、紫電改を操り本土防空戦で活躍し、終戦まで生き抜く。

1942年9月に盲腸の手術を行い、抜糸が終わったばかりにもかかわらず空の要塞と呼ばれたB17を迎撃し撃墜するが、空戦のGで傷口が破れて腸が飛び出たという逸話をもつ。

公式記録では17機を撃墜しているが、本人の記憶によれば数えるのをやめてから4050機の敵機に銃弾を命中させているという。