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菅野 直

公認記録では25機撃墜となっているが、実際は48とも72とも言われる。

1943年、教官との空中模擬戦では、模擬戦で教官機とあわや接触という状態を何度も繰り返し、また着陸禁止区域に着陸を試みたりするなどで 飛行機を何機も壊し、「菅野デストロイヤー」というあだ名がつく。

1944年には南洋戦線に進出、難攻不落と言われたB-24の垂直尾翼に乗機の主翼を引っ掛けて吹き飛ばして撃墜したり、一度に2機のB-24を撃墜するといったこともあった。

また乗機の胴体に指揮官認識マークとして黄色の帯を描いていたことから、 その戦闘ぶりを見た米軍パイロット達の間では「イエローファイター」と渾名され怖れられていたという。

当初、最初の神風特攻作戦の分隊長として任命される動きがあったが、菅野は零戦のテストのため内地におり、それによってフィリピンにいた関行男大尉が分隊長に任命された。

後にこの経緯を聞いた菅野は「オレが関のところをとるんだったんだがなあ…」と寂しげに呟いたという。

ある時、目的地まで輸送機により運ばれる道中、敵の奇襲に合う。

輸送機のパイロットはパニックに陥りもはやここまでと思われたが、「俺に貸せ」といい菅野が操縦桿を握り、墜落すれすれのスタント飛行により脱出。

その後にルバング島に不時着し救援の到着するまでの数日間、 原住民に対して島の王様のように振る舞っていたという。

1945年には 精鋭部隊である第343海軍航空隊に転属。空の要塞と言われたB29に対し、前上方より背面急降下でB-29のコクピットのみに狙いを定め、 搭乗員の顔が見えるほどまでに接近し、接触寸前で交わしていくという攻撃方法を編み出す。

1945年8月1日の戦闘でP51に撃墜され、戦死したとされる。

343空時代の菅野の愛機紫電下改、A15号機

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