
岩本徹三
撃墜数は202機で、最強の零戦パイロットと謳われる。
岩本の次に多く敵機を落としたのが西沢広義の87機であり、いかに200という数字が凄まじいかが分かる。
日中戦争から終戦まで幾多の死線を乗り越え、生き抜く。
搭乗員は坊主刈りを強制されていたが、写真の岩本は長髪である。
これは当時の司令が岩本を例外扱いとし、それを認めたという。
沖縄戦開始直前に、米軍機・米艦隊のうろつく慶良間諸島に単騎で夜間強行偵察を行うという任務を受けるが、その時岩本は千鳥足になるほど酔っ払っていた。
しかし出撃、遊弋する米軍艦艇を銃撃し、大損害を与え帰還したというエピソードをもつ。
1953年、盲腸を医師が腸炎と誤診し腹部を大手術すること3回、さらに入院中に背中が痛みだし原因不明のまま麻酔をかけず4,5回大手術を行い、最後は麻酔をかけずに脇の下を30cm程度切開して肋骨を2本取り出し、敗血症を併発して壮絶な死を遂げる。