拝啓
いよいよ永別の秋が参りました。
私は明三月一日の朝六時頃 、南の果「チモール島」「クーパン」郊外の刑場に於て十名の射手により銃殺され、短い一生を終ります。
戦争間、自己に与へられた任務随行上やつた事ですし、帝國の軍人として、又、日本人として私は少しも愧(は)づる点はありません。
日本人らしい態度で笑はれぬ様、死んでゆく覚悟です。
母上並お前に対しても苦労のみさせ、何等報ゆることなく先立つ私を何卒許してくれ。
誰を恨むこともない。
敗戦と言ふ國家の重大時に際しての礎石なのだ。
決して悲しまず、強く生き、母上に孝養し、洋子を立派に育てて欲しい。
お母さん、静子、洋子、永久にさやうなら。
南の果チモール島に於て幸福を祈りつづけます。
昭和二十四年二月十八日
笠間 高雄
笠間 静子殿
陸軍憲兵曹長
笠間 高雄
昭和二十四年三月一日
インドネシアチモール島クーパンにて殉難死
千葉県出身
三十二歳
いよいよ永別の秋が参りました。
私は明三月一日の朝六時頃 、南の果「チモール島」「クーパン」郊外の刑場に於て十名の射手により銃殺され、短い一生を終ります。
戦争間、自己に与へられた任務随行上やつた事ですし、帝國の軍人として、又、日本人として私は少しも愧(は)づる点はありません。
日本人らしい態度で笑はれぬ様、死んでゆく覚悟です。
母上並お前に対しても苦労のみさせ、何等報ゆることなく先立つ私を何卒許してくれ。
誰を恨むこともない。
敗戦と言ふ國家の重大時に際しての礎石なのだ。
決して悲しまず、強く生き、母上に孝養し、洋子を立派に育てて欲しい。
お母さん、静子、洋子、永久にさやうなら。
南の果チモール島に於て幸福を祈りつづけます。
昭和二十四年二月十八日
笠間 高雄
笠間 静子殿
陸軍憲兵曹長
笠間 高雄
昭和二十四年三月一日
インドネシアチモール島クーパンにて殉難死
千葉県出身
三十二歳