最後の便り

御両親様

長い間、良くおいつくしみ下さいました。

思へば、二十九年、短い様で長い年月をはぐくまれ育つた私は幸福でした。

けれど命運は何処迄も皮肉でした。

八月十五日の降伏は、私のすべてを失つて仕舞ひました。

海山の御恩の万分の一にも報い得ず、死んでいくことを深くお詫び致します。

しかし、今度の不幸は私どもだけのものでは御座居ません。

お國の不幸で、戦ひに負けると言ふ事は、すべての人々を悲しい事に致します。

偉い人は偉い様に、金持は金持の様に、身分相応してをり、私は誰もうらみません。

すべては運命です。

定めです。

一人子を特攻隊に捧げた人も、二人三人といとしい子を戦死させた人もあります。

或いは又、幾人もの幼な子をのこして死んだ人も御座います。

只残念なのは、永き軍隊生活をした私が武運拙く、数年を病床になげいて死ぬ、何故武人の花と散り得なかつたでせうか。

又ぐちになつて仕舞ひました。

では、なごりつきません。

何度も申します。

からだに随分と気をつけて、いつまでも、いつまでも強く強く生きて下さい。

御機嫌よう。

お月様のやうなきれいな心で笑つて参ります。

昭和二十四年十月十日

四朗

陸軍曹長

山本 四朗

昭和二十年十月十五日

傷(い)軍人愛知県療養所にて戦病死

愛知県出身

二十四歳

(い)は、当てはまる漢字が検索しても見付からないため