戦闘における戦士の心理を説明したり、納得したりしようとする際によく言われる、敵愾心や戦死した戦友の仇討ちをしたいという願望は、特攻隊員の心の中に重きをなしていなかったように思われる。
鉄心隊は昭和19年11月8日女子奉仕隊の見送りを受け、鉾田を出発。
先頭は松井浩中尉
彼らはしばしば、神聖な祖国の土を外敵に踏みにじられないための国防の義務とか、親族を守るために自らの命を捧げることとかを語ってはいる。
しかし、これらのことは敵軍兵士にたいする心底からの嫌悪感や西洋人にたいする人種的な敵愾心のような形にまでにはなっていないようである。
むしろ彼らの言葉は、日本人として生まれてこのかた受けた恩恵にたいして、報恩をしなければならないという気持ちを表現しているのではないだろうか。
恩恵を受けてきた、今も受けているという気持ちと、いざという時に必要とあればどのような犠牲を払ってもその恩に報いたいという気持ちが、平戦時を問わず何世紀にもわたって、日本人のモラルの力強い底流をなしていたと思う。
太平洋戦争中、報恩の気持ちは特攻隊員にだけ特有のものではなかったかもしれないが「恩」の意識こそは特攻隊員の心を強力にかりたて、彼らに自己犠牲を、報恩のための究極の道と確信させたものであったと言えよう。
(イワン・モリス著「失敗の高貴 日本史における悲劇の英雄」309頁)
(文章「関大尉を知っていますか」より引用、写真(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会報提供)
出撃の隊員達がもう不要とお金を国防献金にと出しあっている
特攻隊員が血にくるった狂信的国家主義者であるとする連合軍側の記事にたいして、彼らが星の瞳のパイロットであり民族の華であって、沈みゆく太陽の光の中の栄光ある終末に向かってまっしぐらに喜び勇んで飛んでいく者たちであったとして感情移入するのは、安易過ぎる。
それは現実ばなれした紋切り型を創造し、漫画本に出てくる度の強い眼鏡をかけた出っ歯のジャップのような者として、彼らを侮辱することにもなる。
主として戦時中、米国内で言われたような、特攻隊員は鎖で操縦席に縛りつけられていたとか、経かたびらを着て(少数の者は自分の紋所をつけたものを着たかもしれないが)出撃したとか、麻薬を射ったり酔っ払ったり離陸前の乱ちきセックス狂宴で精神を麻痺させて出撃したなどという話は真実からほど遠い。
特攻隊員の真の姿はボーア戦争についてドヤード・キップリングが書いた「トミー」にあるような、「君そっくりな、兵舎に住む独り身の男たち」であり、「兵舎にいる独り身の男たちは、彫像の聖人の境地にまで成長することはなかった」のであった。
彼らは酒を飲めるときには飲み、売春婦を買うことのできるときは買い、しょっちゅう不平を鳴らし、時にはやけっぱちにもなった。時には報道陣のおだてに乗って傲慢にもなり、折々に特攻隊員にならなけらばよかったと悔いもしたのである。
しかし、いざ出撃命令が下ると、決然としてこれに従ったのであった
(リチャード・オネール著「特別攻撃隊」143~144頁)
(文章「関大尉を知っていますか」より引用、写真(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会報提供)



鉄心隊は昭和19年11月8日女子奉仕隊の見送りを受け、鉾田を出発。
先頭は松井浩中尉
彼らはしばしば、神聖な祖国の土を外敵に踏みにじられないための国防の義務とか、親族を守るために自らの命を捧げることとかを語ってはいる。
しかし、これらのことは敵軍兵士にたいする心底からの嫌悪感や西洋人にたいする人種的な敵愾心のような形にまでにはなっていないようである。
むしろ彼らの言葉は、日本人として生まれてこのかた受けた恩恵にたいして、報恩をしなければならないという気持ちを表現しているのではないだろうか。
恩恵を受けてきた、今も受けているという気持ちと、いざという時に必要とあればどのような犠牲を払ってもその恩に報いたいという気持ちが、平戦時を問わず何世紀にもわたって、日本人のモラルの力強い底流をなしていたと思う。
太平洋戦争中、報恩の気持ちは特攻隊員にだけ特有のものではなかったかもしれないが「恩」の意識こそは特攻隊員の心を強力にかりたて、彼らに自己犠牲を、報恩のための究極の道と確信させたものであったと言えよう。
(イワン・モリス著「失敗の高貴 日本史における悲劇の英雄」309頁)
(文章「関大尉を知っていますか」より引用、写真(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会報提供)
出撃の隊員達がもう不要とお金を国防献金にと出しあっている
特攻隊員が血にくるった狂信的国家主義者であるとする連合軍側の記事にたいして、彼らが星の瞳のパイロットであり民族の華であって、沈みゆく太陽の光の中の栄光ある終末に向かってまっしぐらに喜び勇んで飛んでいく者たちであったとして感情移入するのは、安易過ぎる。
それは現実ばなれした紋切り型を創造し、漫画本に出てくる度の強い眼鏡をかけた出っ歯のジャップのような者として、彼らを侮辱することにもなる。
主として戦時中、米国内で言われたような、特攻隊員は鎖で操縦席に縛りつけられていたとか、経かたびらを着て(少数の者は自分の紋所をつけたものを着たかもしれないが)出撃したとか、麻薬を射ったり酔っ払ったり離陸前の乱ちきセックス狂宴で精神を麻痺させて出撃したなどという話は真実からほど遠い。
特攻隊員の真の姿はボーア戦争についてドヤード・キップリングが書いた「トミー」にあるような、「君そっくりな、兵舎に住む独り身の男たち」であり、「兵舎にいる独り身の男たちは、彫像の聖人の境地にまで成長することはなかった」のであった。
彼らは酒を飲めるときには飲み、売春婦を買うことのできるときは買い、しょっちゅう不平を鳴らし、時にはやけっぱちにもなった。時には報道陣のおだてに乗って傲慢にもなり、折々に特攻隊員にならなけらばよかったと悔いもしたのである。
しかし、いざ出撃命令が下ると、決然としてこれに従ったのであった
(リチャード・オネール著「特別攻撃隊」143~144頁)
(文章「関大尉を知っていますか」より引用、写真(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会会報提供)


