靖国神社に合祀されている人々の多くは、黒船来航より、大東亜戦争まで御国に命を捧げた人々であり、国家には戦死者を慰霊する責任と義務がある。

国家護持すべきであり、慰霊が国家の行事として行われるものであれば、その行事に国家の代表である内閣総理大臣が、その資格において参拝するのは、当然。

また、閣僚の参拝も公務員としての義務であり、大臣という公的な立場による参拝が行われなければならない。

戦後、首相による靖国神社参拝は、すべての首相ではないがが、続けられてきた。

終戦まもない昭和20年8月18日に、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこ・おう)首相が参拝したのを初めとして、昭和60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝するまで、12人の歴代総理大臣が参拝している。

それ以後、首相の参拝が途絶え、平成8年7月29日に橋本龍太郎首相が参拝したのを除き、平成13年8月13日に小泉純一郎首相が参拝するまで、実質16年間参拝がされていなかった。

中曽根総理以前の首相は、何ら問題なく靖国神社参拝を行ってきた。

歴代首相の靖国参拝回数は、以下のとおり。

第一期  首相の靖国神社公式参拝が、何ら障害なく行われた

東久邇宮稔彦  一回(昭和二十年八月十八日)

幣原喜重郎   二回(昭和二十年十月二三日、十一月二十日)

吉田茂     五回(昭和二六年十月十八日、二七年十月十七日、二八年四月二三日・十月二四日、二九年四月二四日)

※占領下でも吉田首相は堂々と参拝した。

※吉田首相から田中首相にかけては、主として春秋の例祭に参拝した。

岸信介     二回(昭和三十年四月二五日、三三年十月二一日)

池田勇人    五回(任期四年四か月)

佐藤栄作   十一回(任期七年八か月)

田中角栄    五回(任期二年五か月)

第二期  首相の靖国神社参拝に障害はないが、私的参拝

三木武夫    三回(任期二年)(私的参拝)

※三木首相は、私人としての参拝を表明したため、政治問題化した。

福田赳夫    四回(任期二年)(私的参拝)

大平正芳    三回(任期一年七か月)(私的参拝)

※いわゆる「A級戦犯」合祀の後も大平首相は参拝を続けた。

鈴木善幸 八回(任期二年五か月)(六回は私的参拝、昭和五七年八月十五日・十月十八日の二回の参拝は、公人か私人か明言せず)

第三期 首相の靖国神社参拝が、中韓両国の内政干渉により、中断に至る。

中曽根康弘 十回 (昭和五七年十二月から昭和六十年八月、昭和六十年八月は公式参拝、一礼方式)

宮沢喜一 一回(平成四年) 但し、まぼろしの参拝。退任後の証言

橋本龍太郎   一回(平成八年七月二九日)

※橋本首相は参拝したが、その日は自身の誕生日だった(公私不明)

小泉純一郎   六回(平成十三年八月十三日)

昭和20年の東久邇宮稔彦王から昭和49年の田中角栄首相まではすべて、首相としての公式参拝。

この四半世紀の間は、内外ともに何ら問題はなかった。

昭和50年 三木武夫首相は私的参拝を表明した。

首相としてではなく私人として参拝し、公用車も使用しなかった。

戦後の「首相の靖国参拝」は、昭和四九年十月十九日の田中角栄首相の参拝までの二九年間、全て公式に行われた。

この三木首相の私的参拝は、戦後ずっと行われてきた「首相の靖国公式参拝」という先人の行為を否定し、戦没者を冒するものといえる。

しかも、それまでの「首相の靖国参拝」が、あたかも「私的参拝」であったかのような印象を、国民や反日マスコミに与えてしまった。

いずれにせよ、三木発言以降、福田・大平・鈴木の三総理は、わざわざ私的参拝とことわらなければならない羽目に陥ることとなった。

そのため、首相の参拝が憲法問題となり、公式か私的かの論議が紛糾した。

以後、福田・大平・鈴木の各首相は、この点をあいまいにして参拝を続けた。

本件に決着をつけようと考えた中曽根康弘首相は、有識者による「閣僚の靖国神社の参拝問題に関する懇談会」(靖国懇談会)を設けた。

靖国懇談会は、首相の参拝は「合憲」との見解を答申した。

中曽根首相はこの見解を受けて昭和60年8月15日、首相としての資格で参拝した。

三木首相以来10年間途絶えていた公式参拝でしたが、神道色を排した、祭神に対しては非礼な参拝。

同年9月20日、中国外務省が抗議した。

靖国神社には「A級戦犯」が合祀されており、首相の参拝は「我が国人民の感情を傷つけた」といいがかりをつけてきた。

「A級戦犯」とされた日本人の合祀は昭和53年に済んでおり、以後まったく問題になっていない。

突如として中国の批判を受けた中曽根首相は、以後の参拝を取りやめにした。

取りやめの理由は、中国政府内部の権力闘争に配慮したという。

自国の戦没者の慰霊という重要な内政問題を、外国の内部事情に配慮して決めるというのは、愚かであリ、独立国の首相としては失格であり、今日の政治の堕落は中曽根首相によって始まったといっても過言でない。

中曽根首相以後、竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山各首相は、中曽根氏にならって参拝せず、中曽根氏は退任後、靖国神社に代わる慰霊施設の必要性を述べたり、「A級戦犯」の分祀を働きかけたりするなどして、政界・世論を誤導した。

この戦後屈指の政治家の大きな汚点であり、国賊に値する。

中曽根氏の意を体していたのが、後藤田正晴元官房長官・金丸信元自民党副総裁らであり、野中広務元官房長官も同様の考えを明らかにしている。

昭和六十年十月二八日自民党幹事長金丸信氏は、「中国が問題にしているのは、東条英機らのA級戦犯が祀られているからだ。なぜ、A級戦犯が祀られているのか」と、中国政府に迎合した発言している。

昭和六十年十月三十日、自民党副総裁二階堂進氏は、駐日中国大使に

「率直に言って私も東條元首相らが合祀されていると知らなかった。中国国民の感情はよくわかる。私も個人的に反省している。」と述べた。

昭和六十年十二月四日桜内義男外相は、中国の呉学謙外相に、靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ平和条約第十一条から見て問題がある。

戦犯合祀が当時表立って行われていれば、平和条約第十一条を指摘する政治家がいて、合祀は行われていなかっただろう」と、救いようのない売国的発言を行った。

しかも、中国の内政干渉を呼び込んだのは、いつもながら反日新聞と言われる朝日新聞。

朝日は、昭和六十年八月七日、中曽根首相の靖国公式参拝を「中国が厳しい視線で凝視している」と書きたてた。

これに呼応して、中国の人民日報は、八月十日、靖国問題に批判的な日本国内の動きを報道した。

これに反日野党、社会党が昭和六十年八月二六日、訪中した社会党田辺書記長の発言が、中国の対日非難に火をつけた。

田辺書記長は、中曽根内閣が「軍事費の拡大・靖国への公式参拝・スパイ防止法策定の画策」を行い「軍事大国」を目指していると非難し、中国政府に迎合した発言を繰り返した。

この田辺書記長の行動は、まさに外国の干渉を誘致する売国行為と言わざるを得ない。

政治家は、例え政敵であっても自国の政治家の悪口を、外国人に向かって言わないもの。

田辺書記長も、かつて故松村謙三氏が言ったように、中国の政治家に向かって「わたくしの前で、日本の政治家の悪口を言うことを決して許しません」というべきであった。

反日政党の反日政治家の暗躍、ここに極まりまっている。

その社会党の残党が多く在籍する、反日与党「民主党」の野田首相が、野党時代に「戦犯は存在しない」と国会で明言したことは、記憶に新しい。

後は靖国神社(六)に分割する。