東郷平八郎

明治38年9月、明治天皇は日露戦争の終結を記念して連合艦隊司令長官 東郷平八郎元帥を主賓とする陸海軍の凱旋将軍達のための園遊会を催した。

折から東京湾に停泊していた米戦艦「オハイオ」にも招待状が送られたが、上級士官は招待に応ぜずニミッツを含む六人の候補生が派遣された。

ニミッツは東郷元帥を自分たちのテーブルの招き、東郷元帥もこれを受け入れた。ニミッツは東郷元帥の日本海海戦での指揮を手本とし、生涯尊敬し続けた。

昭和9年6月4日、ニミッツが艦長を務める米戦艦「オーガスタ」が横浜港に入港。

翌5日、ニミッツは東郷平八郎元帥の国葬に参列、翌々6日の東郷家葬儀にも参列した。

昭和33年、ニミッツは「文藝春秋」に一文を寄せた。

三笠と私

私が三笠を訪れたのは1945年9月、ミズーリ艦上で降伏文書調印式を行う前日であった。

私が最も尊敬する東郷元帥を偲ぶため、日本が国民の記念鑑として保存している三笠を訪問したいと思ったからである。

ところが心無き米兵によって三笠の歴史的価値のある部品や資料が持ち去られた跡があった。

東郷元帥を尊敬する物の一人として、この有名な軍艦がこれ以上 荒らされるべきではないと思い、米海軍陸戦隊に命じて歩哨を立て、三笠を護衛させる事にした。

私はこの命令が実施されたと報告を受けている。三笠が今悲しむべき状態にあることは甚だ残念である。

私はこの軍艦が日本の最も偉大な海軍軍人を偲ぶ記念物として保存されるべきと思い、亦そうなることを希望する。

(中略)私のこの一文が原稿料に値するならば、その全額を三笠復元基金に私の名で寄付していただきたい。

この一文は日本国内で大きな話題となり、日本政府も「三笠」の復元を決定した。米海軍もニミッツの意を受けて積極的に支援し、古い艦艇一隻をスクラップにして換金し復元費用に当てることを条件に贈与した。

また在日米軍将兵からの寄付金も多く集められた。

昭和36年5月27日、横須賀港において「三笠」の復元完成開艦式が行われた。米海軍代表のトーリー少将は、「東郷元帥の大いなる崇敬者にして、弟子であるニミッツ」と書かれたニミッツの肖像写真を持参し、三笠公園の一角にニミッツの名前で月桂冠を植樹している。

ニミッツは、戦災で焼失した東郷神社の再興にも自著「太平洋海戦史」日本語版の原稿料を寄付している。

昭和47年、米テキサス州にアドミラル・ニミッツ・センターの建設が計画され、「三笠」復元・東郷神社復興が縁となり今度は日本が協力する事となった。

昭和51年5月8日、同センターへ日本庭園の贈呈式が行われた。

ペリリュー島玉砕

昭和19年11月23日、ペリリュー島の日本守備隊一万名の生き残り五十数人は「サクラ・サクラ」の決別電を発信した後、指揮官の中川大佐が自決、残るものは突撃して果てた。ニミッツはこの戦いに感銘して詩を作っている。

平成6年9月13日、パラオ共和国は日米両国を招いて記念式典を開催。ペリリュー神社の境内にニミッツの碑を建立した。

碑文

諸国から訪れる旅人達よ

この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ

米太平洋艦隊司令長官  C.W.ニミッツ