東条英機元総理は、昭和23(1948)年12月23日に、東京巣鴨において刑死されました。64歳でした。

東条英機閣下は、明治17年生まれ。陸軍大学を卒業し、陸軍大将となられ、改選前の昭和16(1941)年10月に、勅命をもって内閣総理大臣に就任されました。

その東条英機閣下の遺言状をここに掲載します。死の直前の文です。

なお、東条英機閣下の遺言として出回っているものには、故意に文脈に変更を加えたり、一部分だけを取り出して掲載しているものがあるけれど、以下の文は、東条英機閣下の直筆の遺書の文章を、ほぼそのまま掲載させていただきました。

【遺言】

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。

今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。

ただ力の前に屈服した。

自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。

ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。

天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。

元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。

このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。

今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。

もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。

この裁判は、結局は政治裁判に終わった。

勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇存在の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。

空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。

東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。

インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。

これをもって東亜民族の誇りと感じた。

今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。

列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。

また、日本人が赤化しないように頼む。

東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。

実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。

終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。

今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。

もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。

しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。

よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。

第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。

第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。

第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。

米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。

従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。

日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。

しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。

然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。

私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。

現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。

国家から欲心を除くということは、不可能のことである。

されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。

これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。

第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。日本とドイツというものが取り去られてしまった。

それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。

この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。

この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。これは当然米国の責任である。

日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。

米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。

なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。

従ってこれは速やかに止めてほしい。

日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。

戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。

従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。戦犯者の家族には保護を与えられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。

この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。

もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、最後に軍事的問題について一言する。

我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動は採れない。

兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。

我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。

再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。

忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。

この点については、大いに米国に学ぶべきである。

学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。人として完成を図る教育が大切だ。いいかえれば宗教教育である。欧米の風俗を知らすことも必要である。

俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

この東条英機閣下の遺稿については、最近の本などでは、かなり改ざんが目立つものとなっています。

たとえば、「今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。」

の文は、肝心の「世界平和の精神的礎石としたいのである」や、「慰安会」が取り払われて、

「今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし」とされていたりします。

たとえば、「今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである。」

の文は、肝心の「世界平和の精神的礎石としたいのである」や、「慰安会」が取り払われて、

「今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし」とされていたりします。

あるいは、「再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた」

の文は、将来再建する軍のことを言っているにもかかわらず、主語が「再建軍隊」ではなく、単に「教育」にされたうえ、「責任観念のないことは淋しさを感じた」が「責任感をゆるがせにしてはならぬ」に変えられています。

東条英機閣下の遺書では、軍の責任観念について「大いに米国に学ぶべきである」と書いているのに対し、最近のものでは、「教育は大いに米国に学ぶべきである」と勝手にすり替えられたりしています。

この一文は、戦争遂行責任者としての東条英機元首相からみた、陸海軍への感想で、両軍ともに忠君愛国の念は非常に堅牢なものがあったにもかかわらず、本部命令に現場が背き、進撃すべきものを現場指揮官の判断で勝手に逗留したり、反転したりするような事態が、特にインパール陸戦やレイテ沖海戦などの前線において顕著にみられたことへの反省があったものと思います。

それが単に、「教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである」と書き換えられているのには「?」を感じてしまいます。

東条英機閣下については、現代日本ではA級戦犯であり戦争犯罪者であるという評価をする方も多いです。

けれど、ひとこと申し上げるならば、まず第一に、ひとつの時代を責任者として真剣に生きた人を、後世の平和な日本という環境の中で、裁いたり評価したりするのは間違っている。

日本は、明治維新以来、欧米列強の植民地奴隷になるか、自存自衛を図るか、そして有色人種である近隣のアジア諸国の解放を願って日清、日露、第二次世界大戦、大東亜戦争を戦ったのであり、とりわけ大東亜戦争では、まさにやむにやまれぬところまで追いつめられ、追いこめられて、やむなく乾坤一擲立ち上がった勝負でもあったのです。

第二に、東条英機閣下は「戦争犯罪者」ではなく、日本の「戦争責任者」。

戦争犯罪者というのは、非常に偏った内容を持つ東京裁判史観による一方的な評価であって、これは正しくない。

ところで東条英機閣下は、明治17(1884)年の生まれで、もともとは盛岡藩に仕えた家柄です。

父の東条英教氏は、陸大の一期生を首席した人で、同期には日露戦争の奉天戦で活躍した秋山好古などがいます。

英機氏は、その三男で、陸軍士官学校を卒業後、関東軍参謀、陸軍次官、陸軍大臣を経て、首相に就任しています。

日本国中が、鬼畜米英と開戦やむなし!という壮気に沸きかえる中、昭和天皇から、その壮気を抑えれるのは東条しかいない、と言われて総理の任命を受けたというのは、有名な話し。

昭和20年12月8日、真珠湾攻撃成功。

その日の明け方、開戦回避を熱望していた昭和天皇の期待に応えることができなかったと、東条英機氏は、懺悔の念に耐えかねて、首相官邸において皇居の方角に向かって号泣したという。

そして総理の職を辞した時、昭和天皇から前例のない感謝の勅語が贈られたというのも、有名な話です。

日米が開戦してから、約100日、日本は東南アジアではなく、米国領だったフィリピンや太平洋において、米陸海軍をことごとく粉砕している。

日本国中が勝った勝ったと沸き立った。同じころ、米国内では、負けた、また負けたという報告ばかり。

米国内は、負け戦のたびに失われる米兵の生命で、、内世論は日米開戦に踏み切ったルーズベルト大統領に対して怨嗟の声が満ち溢れる状況となった。

これを巻き返すために、とにかく話題だけでもと行われたのが、ドーリットル空襲です。

これは、米陸軍の長距離爆撃機を、米海軍の空母から飛ばし、日本の東京や名古屋などの都市を空爆しようというもので、米側は、これが明らかなハーグ陸戦条約違反である(一般人への無差別攻撃)ことを承知で、この空襲を実現した。

空爆の被害はたいしたことはなく、「ドゥ、リトルだった」という軽口も出るほどだったのだけれど、米国内では、開戦後、はじめて日本をやっつけた快挙として、おおいに戦意高揚に寄与したという作戦です。

この空爆の際に撃ち落された米軍機の乗員が日本の捕虜になっていますが、これに対して、参謀本部が死刑にすべし!と建言したものを、東条英機氏は許さず、世界中のだれが見ても正当な軍事裁判を行って、ことを処理した。

また、いま映画「太平洋の奇跡」で描かれているサイパン戦においては、たとえ何があっても、民間人を玉砕させてはならないと、東条英機閣下が、玉砕にひどく反対されています。

私は、東条英機氏は、尊敬すべき立派な人であったと思う。