厳しい意見の中に、自分の見えていない問題の本質があったりする事は、よくある話です。
イエスマンばかりを周りに置くと、裸の王様状態になります。
しっかりとした企業の社長は、「自分を諌めてくれる者」を周りに置くと聞きます。
本来の目的を達成する為には、「イイネ」や「粗探しの様な批判」、「単なる暴言」ではなく、相手の事を思った意見が、本来の意味での応援だと思います。
サッシの件、自分含め何人もの方が「ホームセンターでウレタン買って自分で直す方がストレスがかからない」と応援しました。
しかし、その意見は「批判的」と捉えられ、その頃は、大騒動を巻き起こし、大きなストレスとなられたのがわかります。
そして、最終的には旦那さんがホームセンターでスポンジを買って直したとの事です。
つまり、今届いてる多くの意見は、批判的に見えるかもしれないけれど、それは本人を思った本当の応援なのかもしれないのです。
もし、サッシ事件も最初に批判的でも意見を受け入れて
「なるほど、その意見有りですね。自分で直しました」
という内容のブログが続いていたら、周りからの見え方や、Daiwaからの見え方も、随分変わっていたと思います。
みなさんは、どう思われますか?