あじろ3さんの物語詩~~第65作目から第68作目まで~~ | この世の彼方の夢

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あじろ3さんの物語詩、第65作目から第68作目まで、

5月14日に投稿して頂いた作品です。

地獄図のほんの一部分を表して居ます。

恐ろしい光景ですね・・・。




あじろ3さんの物語詩をお楽しみくださいm(__)m

(掲載上、新しい作品が先頭に来て居ます。

番号の小さい順にお読み下さる事を、お勧めします )

by suiseimu





●第68作目「物語・・35」5月14日投稿作品



また、彼はいつものようにいくつかのグループで、

いつもの救うべきものがいる地へと出発した。

彼ももう何人もの人々を救う手助けをして

経験のある者として扱われていた。

今回の地は、昔の植民地の初期のころらしく、

いつもとはおもむきの変わった場所であった。

相変わらずの喧騒と悲鳴や蔑み、怨みの渦巻く世界である。

そこは小さな町のようであり、

しかし建物は馴染みのある作りではある。

そこにいる人々は、白人もいるが

黄色人種といわれる人々の方が多くいる。

ある商店の前を通りかかると、

肉屋のようで色々な塊が売られていた。

それを店の前で焼きながら売ってもいるようである。

彼がその前を通り過ぎようと店の中を見た瞬間、

驚愕の表情があらわれ、その場から動けなくなってしまった。

何と、売っていたのは人の手や足、

頭や体の切り刻んだものであったのだ。

それらを焼いて売ったり、食べさせたり、

生のまま売っているのである。

この肉は、その土地の原住民であって

家畜と同じ扱いを受け、

動物の肉として売っているのである。

買うものがいるからこそ商売は成り立つ。

ここの主人は、

生きている時に同じ商売をしていたということになる。

しばらく足を止めていたのだから、

その顔を見ると、やはりその顔はもはや人ではない。

その人ではない顔で薄気味の悪い探るような目をしながら、

彼にその肉なるものを売ろうとしているのである。

そのような虐待を受け奴隷にさせられ、

売られたり虐殺されたりしたものは、

とても気の毒であり、同情される人々だろう。

では彼らが亡くなった後は

天からも同情されて救われるのだろうか。

事実は彼らもこの地獄にいる。

怨み、悲しみ、苦しみ、叫びを、

怨念という思いを身にまとってしまったのだ。

その渦の中で苦しみもがくのである。

彼らの姿も彼は見た。

それはもう人とは言われない。

人という思いもなくなっているのであった。





●第67作目「物語・・34」5月14日投稿作品



一輪の花の彼女は、とても賢く信仰の深い女性であった。

そして、彼の存在を確信してからは、

まるで自分が彼によりそい旅をしているように、

彼の思いを受けとめて支えていた。

体は地上にあっても思いは彼と共にあるのだ。

彼の思いが時に地獄の思いに覆われようとしても、

いつもそれを払い清めるのは彼女の思いであり、

彼は彼女の祈りに思いに

どれほど救われたか知れない。

愛にはそれほどの力があるのである。

それは彼女だけのものだろうか。

それを感じること、また使うことが出来る力は

すべての女性、

男性にも存在する。

種が蒔かれているといってもいいだろう。

胸に手を当ててみると、そこにあるのだ。

彼の道のりは自分を彼の立場に置く時に、

少しは理解できよう。

地上でも今は世界中の悲惨さを見ることが出来る。

目を覆いたくなり

逃げ出したくなることもたくさんあるだろう。

それを彼は、いつも見ざるを得ない。

そしてその中で救いの仕事をしているようなものなのだ。

だからこそ、それ以上の力、

愛の力がどれほどのものかわかるだろう。

それが、彼女の愛の力、神の愛なのである。




●第66作目「物語・・33」5月14日投稿作品


では、一輪の愛の花の持ち主の彼の話に戻ろう。

彼は、この世で言う地獄の情景をたくさん見ることになった。

時代に関係なく、繋がりのあるものはすべてを見せられた。

地上にも使命を持ったという人々がいるだろう。

この世もそうであり、それぞれの役割があるのである。

彼は、一輪の花の深い愛に出会い、

自分の意志でそれを求め、

一途にその花のもとに向かって走ったのである。

その究極の源は神の愛なのだ。

それが流れているところが、

この世であり本来の地上の姿であったのである。

その愛を拒絶し

自分だけの世界を作っているのが

地獄と呼ばれる世界であり、

まさに暗闇の獄である。

神の愛が流れることの出来ない、

流れていても感じることの出来ない世界なのだ。

彼の愛のように時には、

肉体の愛さえ越え時空をも越えてしまうのだ。

別な世界であろうと同じ世界であろうと

無限の力が愛なのである。

それは、すべてを超越するものなのである。

それは、神でさえも、

われわれ天使でさえも

断ち切ることはできないものなのである。

本人が思うだけで、それは成立し永遠の存在ともなる。

しかし、それが自分を中心として扱われれば

信じられないような姿にもなり出来事も

起こるようになる。

その実例は地上にも天界にも溢れている。

愛はすべてなのである。





●第65作目「堕天使の意味」5月14日投稿作品


われわれの世界も常に変わっている。

人の世が、常に変わっているのと何ら変わらない。

人がなすべきことを成しながら地上で生きているように、

天使も天使の世界で感情をも持ち生きているのだ。

神が堕落することがないように、

もし天使が神と同じ存在ならば、

ルシファーのような堕天使が存在するはずがない。

堕落は被造物だからで

神と同じ存在にはなっていないから

堕落するのである。

堕落とは何なのか。

それは感情の方向性が神のものと

まったく反対の方向に向かうものなのだ。

その存在が神の意思とは関係のないものになってしまい

神の愛がとどかなくなり、

われわれの食物にも等しい愛というものが

得られなくなったということなのである。

愛の飢餓なのである。

堕天使というものは、

神の愛の流れを自ら遮断し

自分の愛を優先し、

ただ自分のために生きているものの

状態をいうのである。

すべての行動が自分のためであり

自分のために他者を利用し、

そのためには何でも考えられるすべてを行なう。

すべてが自分のためなのである。

そこには、神が創造した根本的な生存の原理である他者、

人や天使や被造物、

神までも愛するという絶対的な法則から外れてしまい、

自分の法則を創造してしまったということになるのである。

この世でも神を作る。

人は多くの神を作り出し

本来の神を奴隷のように扱うようになってしまったのだ。

堕天使の血の流れが人に流れて

そのようにしてしまったとも言えるのである。

人は、堕天使の思いの血統の末裔なのである。

それを刻印が押されたと表現しているのだ。

地上でも人の為に尽くすことは、

とても抵抗があり努力しなければなせないように、

堕落世界とは何処にあろうと、

自分というものが支配している世界なのだ。

しかし、それは創造の原理から外れているので

苦しみが去らないのである。

原理の流れに反しているから苦しいし天国がないのである。



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