乗り物としての肉体を大切に | Divinesource

 

生まれた時の環境などと同じように肉体もまた、我々が3次元の限られた人生において、魂の目的や使命を果たすのに最もふさわしい状態で与えられます。

ですから機能的な問題も容姿も全てメリットです。

それらは不公平も不幸も特別もありません。

しかし人は愛車に傷がつけば、特に日本人はすぐにメンテナンスに出すくせに、自分の身体の声はあまり聞こうとしません。

それどころかこのくらいなら大丈夫と過信したり、少々体調が悪くても仕事に穴を開けるわけにはいかない現実を創りだします。

責任感とは何なのでしょう。

こんなことを書くのはこの数年、あまりに与えられた乗り物としての肉体を粗末に扱う人が周りに多いからです。

魂は永遠ですが(例外はあります)肉体は有限です。

死に直面するような病を克服し、今度こそと決意を新たにした人が、また同じ思考と行動に戻り、私を媒体として「もう次はない」というメッセージを受け取ります。

そこまで危機的な状況であるのに多くの人がどこか他人事です。特にここ数年で命を救われた人は、その意味をもっと真摯に受け止めるべきだと思います。

リセットを余儀なくされた人と、また生かされた自分との差は何なのか。

不調和な状態であっても責任感からレッスンや授業を行うことは、生徒たちにそのエネルギーをまき散らすことになります。

あるいは非常に調和のとれた生徒のエネルギーを奪い取ります。「風邪をうつさないかそれだけは心配。」などは無知からくる傲慢さです。そもそも風邪という病気はありません。代表のエネルギーが不調和であれば、グループ全体も次第にそのエネルギーに汚染されます。

そもそも調和がとれた状態であれば、何ら問題は起きないはず。

無理に無理を重ねるのはマインドが創り出すドラマに嵌っているだけ。

そっとそのシーンから離れてみる。そうすると何をしてたんだろうと気付くはず。しばし動きを止め、しっかり自分を見つめることが必須です。

原爆で子供(私の父)以外の一切を失った祖母の「この世で起きたことは、全てこの世で解決する。」

という言葉は、若いころの私は「そもそも乗り越えられない試練は与えられない」と受け取り、それを支えにしていました。

しかしその後、「あの世に持ち越すな」という強いメッセージだったと気付きました。

【病気とヒーリング】のテーマで書いた記事も合わせて読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

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