ローマ帝国は、民衆を支配するための政治的手段としてキリスト教を利用しました。392年、テオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国での唯一の宗教とすることを定めると、キリスト教以外の宗教を禁止し、女神崇拝を徹底的に弾圧するようになりました。
その結果、女神の力はヤハウェ(旧約聖書や新約聖書における唯一神)の中に吸収されました。381年のコンスタンティノーブル会議では、キリスト教の三位一体説は「父なる神・子なるキリスト・聖霊」とされました。
「母なる神」は、どこへ行ってしまったのでしょうか?
聖霊は本来、女性であると考えられています。ヘブライ語で書かれた聖書やイエスが話していたとされるアラム語では、聖霊を表す言葉は女性名詞であり、女性的な神の存在を意味すると言われています。
しかし、ローマ・カトリック教会が勢力を強める中で、聖霊は男性名詞に訳されていったのです。このことは、キリスト教における母なる神と、女性特有の存在感と意義を失わせることになったと言えるでしょう。キリスト教の三位一体は完全に男性化され、聖霊以前の女性的な要素はキリスト教から完全に排除されたのです。
インド・ヨーロッパ語族の侵略によって衰退された女神は、ローマ帝国による征服地のキリスト教化によって完全に弾圧されてしまいました。
