失敗の原因に対する諸名士の回答
米国の教訓家ウィルバー・クラフツ博士は、かつて失敗の原因について米国の諸名士に質問を発したことがある。それに対する答えは大略次のごときものであった。ハーバード大学総長エリオット博士は『愚昧(ぐまい:おろか)、懶惰(らんだ:なまけ)、粗暴、不正直』等を失敗の原因に数えてきた。ダートマス大学総長バートレット氏は『主義、確固たる目的、忍耐等の欠乏である』と答え、ボストン大学のホーマー・B・スプラーグ教授は『成功とは純正高雅な人格的訓練及び発展であることを閑却して、ただ自己拡張を主眼とする下劣な理想がすなわち失敗の原因である』と答え、H・M・デクスター博士は『用意の不十分なこと、確固たる目的なきこと、正義と真理とをもってすれば必勝すべきことを確信せざるによる』と答えた。
代議士ダーウィン・R・ゼームスは『生涯の終局と目的に対する謬見(びゅうけん:間違った見方)である。多数の人は平板な勤勉正直の道をたどりゆくことができなくして、ややもすれば他人に先んぜんとして誘惑に引っかかるからだ』と答え、知事セント・ジョンは『懶惰と不節制』とを挙げ、アレキサンダー・H・スチブンスは『不規律、不正直、不信実』の三点を挙げ、アントニー・カムストックは『汚れた生涯、不正直の手段、淫蕩(いんとう:みだらな享楽にふける)、不節制、分際に過ぎた生活をなすこと』と答えた。検事総長某氏は『収入以上の生活をなし、借金にて投機を始め、且つ最下級より漸次に叩(たた)き上げることを退けること』を失敗の原因として答えた。いずれもみな抽象的な文字で簡単ではあるがすこぶる要領を得ている。アメリカの失敗者も日本の失敗者もその原因においては共通の点が多い。
失敗者の分類
わたくしは失敗者が失敗したる原因により、大別して十五種となし、逐次簡単にその要点を述べてみようと思う。もちろん十五種以外にも多々あることは疑いを入れぬけれども、比較的もっとも多いのを列挙するのである。天災のために失敗するのはもとより例外である。
(一)意志薄弱のために失敗す
学識もあり手腕もあり、しかも相当に思慮ある人物で失敗する者がある。よく調べてみると、断るべきことを断らないで承諾したために、その累を被って打撃を受けたのである。たとえば新設会社流行の時代に知人に勧誘されるまま、断りきれずしてその株式を引き受けたるために、後に至ってその事業は失敗し、株式は無価値となって多大の損害を被りたるがごとき、あるいは友人から約束手形の裏書または借金の保証人に頼まれて、断りきれずして承諾したるために、友人の失敗とともに自己もまた迷惑を背負い込むがごとき、それがために失敗したものは少なくない。あるいはまた諸種の誘惑に対し、これを拒絶することできないためにその捕虜となって失敗するのである。事柄の利害得失是非善悪は分からないのではなく、よく分かっていてつい引っかかるのであるから、まったく意志薄弱のためである。この点から考えると意志が弱いために失敗する人はもっとも多い。
(二)虚栄心のために失敗す
無いものをあるように見せ、実質以上に高く表現したいのは虚栄心に富む人の常である。知識や学問の少ないのを多くあるように表示せんとし、財産の無いのを金持ちであるかのごとく見せようと苦心するのであるが、一時を糊塗(こと)しても、メッキであるから地金が現れるとともに往生のほかはない。これらの人々は借金でやりくりしているうちに、行き詰まって破たんを生ずるのである。身分不相応な贅沢(ぜいたく)をして交際場裏へ出入して表面を飾っていたが、数年ならずして窮境に陥り、ついには高利貸しの厄介となり、その極没落してしまうのである。元来虚栄は虚偽の生活であるから、自然口にもうそを言うようになる。うそは一種の罪悪であって、身を滅ぼすの基である。心にもないことを語って体裁を飾る人は実に哀れむべきで、その末路知るべきである。世上虚栄心のために失敗した実例はきわめて多い。
(三)事業上の知識欠乏のために失敗す
事業を経営する者はその事業に関して全般の知識あるを必要とする。ところがその大切なる知識が欠乏せるため、意外な損失を被るのである。単に有望有利という説明を信じて、それに投資しあるいは従事してみるが、実際は計画どおりに好結果を上げ得ない。石川舜台(しゅんたい)氏は宗教界の傑物であって、事業や鉱山に手を出してみるとみな失敗してしまったのも、塩谷方国(ほうこく)中将が大日本水産会社の社長となって失敗したのも、みなその事業に知識がないからである。掘親篤子(ほりちかあつし)が千代田銀行並びに同貯蓄銀行の頭取になって大失敗し、ついに華族の礼遇停止となったのも、銀行に関する知識の欠乏からである。往時士族の商法と言ったのはすなわちそれで、この種の失敗は累々として数えきれぬほどである。
(四)自己過信のために失敗す
自信と自負とはもとより必要であるけれども、うぬぼれと誇大妄想は慎まねばならぬ。自己の実力を理解せずして、あまりに己を信ずるために力不相応の仕事をなし、あるいは業務を過度に拡張して収拾すべからざるに至り、その結果ついに失敗したものがすこぶる多い。且つまたうぬぼれ強い人は他人の扇動に乗りやすい。それがためにとんだ失敗を招いたものが少なくない。ドイツのカイゼルが欧州大戦を引き起こして失敗したのも、自己過信の結果である。彼はかつてドイツ西国境の要塞落成式の演説において『朕(ちん)は汝(なんじ)をヘスレル要塞と命名す。朕は西方の敵に対してドイツの勝利を防御すればなり』と言い、あるときまた『朕は将来に向かってなんら恐れるところなし。朕は朕の計画が必ず成功すべきを確信す』と言って、暗に世界征服の妄想を漏らしていた。その自己過信が彼をわざわいして大失敗に陥らしめたのである。尊大ごう慢態度をもって事に臨む人などは大いに警戒せねばならぬ。
(五)部下過信のために失敗す
従来の失敗者中には部下を過信して、あまりに任せきりにしたために、部下が損害を隠ぺいしたり、あるいは使い 込みしたり、大きな穴を空けておいたのも知らずに、放任せしために失敗した人も少なくない。すなわち人を見るの明と、部下を監督するの注意を欠きたるために不覚を取るのである。酒匂常明(さかわつねあき)博士が大日本製糖会社々長として、同僚や部下が贈賄その他種々なる不正事件を行ったことを知らずに、信用していたのであるが、ついに破たんを生じて株主に大損害をかけたというので、責任上自殺されたのもまったく同僚部下を過信したためであった。わたくしの知っている人で部下を過信したために、その部下の不正から失敗を招いたのがたくさんある。もとより部下を疑うのは悪いが、しかし監督は必要で且つ過信は慎むべきである。
(六)酒色のために失敗す
青年時代の失敗は十中八九は酒色のために失敗するのである。世上幾多の青年はそろいもそろってみなこの過ちに陥るのは同情に堪えない。青年血気戒むるは色にあるけれども、ついに色欲の奴隷となって身を持ち崩し、心を女のために奪われて、仕事に対して精神を集中することができなくなり、執務しながら女のことを考えているために、往々過誤を生じたり、能率が増進しないで、長上からは信を失うに至り、諭旨免職となったものはたくさんある。その甚だしきに至っては酒色の金を得んがために友人に迷惑をかけて不義理をなし、さらに進んで銀行会社あるいは主人の金を使い込んで破滅の域に陥ったのも少なくない。これらの失敗は絶えず新聞紙の三面記事となって現れている。克己心がないから抑えることができないためで、あたかも自ら穴を掘ってその中へ飛び込むようなものである。
(七)奢侈のために失敗す
乱費ほど愚なことはないが、しかも奢侈(しゃし)贅沢のために失敗したものは、滔々(とうとう:すべて一様に)としてこれあるのが事実である。収入以内の生活ができないで、負債を起こしてまでも贅沢するのはその愚や遠く及ばないが、親譲りの財産十分あったものが、奢侈乱費にふけてついに家産を蕩尽(とうじん)して失敗したのはこれまた少なくない。英国の大政治家チャールス・ジェイムス・フォックスさえ晩年無鉄砲な乱費贅沢に流れ、奢侈豪奢(ごうしゃ)をきわめ、身分不相応な借金のためについに失敗してしまったのであるから、世上この種の失敗者多きも怪しむに足らない。
(八)観察判断の過誤より失敗す
商売や事業上で見込み違いのために失敗したのはすこぶる多い。これはすなわち観察と判断とを誤ったためである。いたずらに新設会社を起こして失敗した連中や、その大株主となって失敗した人々も多くはこの仲間である。時勢の変遷や物品需給の観察を誤り、常に柳の下にどじょうがいると思って、失敗したなどはみなそれである。観察と判断を誤るのは知識の不足もあるが、多くは常識の欠乏である。常識が発達しておれば見当違いはまず少ないのをふつうとする。見込み外れの連発などは常識欠乏の暴露である。
(九)懶惰(らんだ)と無責任のために失敗す
過失もなく無能でもないのに解傭(かいよう:解雇)される人について調べてみると、懶惰によるというのが原因である。また有為の材があり重宝で間に合う男が免職されるのを調べてみると、無責任で困るというのである。独立自営業者でありながら自己の業務に懶惰なるために失敗し、また他へ対して約束を守らず無責任で当てにならぬために失敗を招いたのがいくらもある。ベルギーの都会ガンという所にかつて一人の乞食があった。骨の中に病気があってそのために全身が衰弱し、労働に堪えないというのを口実として、毎日人の家に哀れみを請うていた。あるとき市の役人がこれを疑ってこの乞食について種々詰問したら、ついに白状して『わたしは骨の中に病気があって自由に働けませぬ。その病名は怠惰病と申します』と言ったというが、懶惰のために乞食になったのである。わが国にもこの怠惰病のために失敗した者がたくさんある。
(十)焦慮と軽率のために失敗す
成功を急いであまりに焦ったために失敗した人も少なくない。焦るために無理が多い。渋柿を取るように熟するのを待ちかねて、それがために失敗するのである。早く成功したいと思って、事業ならば急激に大拡張するとか、信用を極度まで利用するとか、ついには目的のために手段を選ばないようになるのである。堅実な進み方では日暮れて道遠しなどと誤解して、それがためにはついに軽率にもなり、結局無理だから失敗するのである。また焦らなくとも軽率のために熟慮もせず、十分調査研究もせず、軽々に処断するために意外な失敗を招いたものも甚だ多い。性急なる人などはとかくこの部類へ入る人で、後悔先に立たずと悔いる人である。失敗は当然と笑われても仕方がない。
(十一)手を広げ過ぎたために失敗す
調子に乗りすぎてむやみに手を広げ、それがために失敗したのは、時計商吉沼又右衛門(またえもん)氏、横浜の茂木惣兵衛(もぎそうべえ)、安部幸兵衛(こうべえ)両氏始め、その他実例枚挙にいとまない。吉沼氏は自分の失敗の原因は本業のほか、各種の事業へ手を出したためですと自白したが、この類はけっして吉沼氏のみでない。茂木氏もその一人で、諸方から勧められて手を広げるのもあれば、自ら進んで八方へ手を伸ばすのもある。そのいずれたるを問わず手を広げすぎるのはすでに堅実味を失っているから、一方が破たんし始めると収拾すべからざるに至り、ついに失敗するのである。
(十二)るる転業して失敗す
適材適所を得ないために転業するのはやむを得ないが、しかし諸方に転々してさらに適所を得ず、執着心がないために一ヶ所に永く辛抱ができずして失敗する者少なくない。履歴書を見てあまり諸方を転業した人は信用がない。種々の商売替えをしてついに惨敗するのも、執着心なきためで、飽きやすいから失敗に見舞われるのである。一二年経過して会うごとに名刺の肩書きが変わっている人は、ついに落伍者となるであろう。
(十三)放漫不規律のために失敗す
規律も秩序もおかまいなしで、万事放漫に流れ、無謀無成算、正確に帳簿さえないという豪傑流を通り越して失敗した人もある。中には自己の事業でなく他人の金を集めた株式会社の経営者にかかる類似のものがあった。しかもそれがわたくしの知っていた人の某会社であるから実にあきれた。世の中には小説以上の事実があるが、これらもその一つだ。失敗の種類数えきれぬのも不思議ではない。日常生活があまりに放漫不規律な人は、執務上にも同一結果をもたらすから、かかる性質の人こそ危険である。
(十四)投機のために失敗す
俸給生活者としては衣食に窮する程度でなく、また独立経営者としてはその事業が不振でもないのに、失敗したというから何が原因かと調べてみると、株式や米相場に手を出して失敗したのである。投機は労せずして一攫千金を得んとするのであるが、世の中にこのくらい危険なことはない。漁夫は海老(えび)で鯛(たい)を釣るが、実業界では百金を投資して直ちに千金を獲得する道がない。働かずして大金を得んと欲する動機それ自身がすでに悪いから、失敗は当然の帰結である。投機と成功とはその距離がもっとも大なるもので、富を得んと欲して投機に手を出すのは、あたかも肉をくわえる犬が、水上に己の姿の写れるを見て、その肉を得んとして吠えるがごときもので、くわえる肉をも失ってしまう。
(十五)不正行為のために失敗す
収賄したり、不正品を売りつけたり、詐欺横領を行って失敗した人もある。不正行為そのものはすでに失敗であるからそれをなして失敗するのは当然すぎる当然である。ワイロは暴露せまいと思ってひそかに受けるのであるが、収賄したという事実があれば、いつかは現れずにはいない。現れても差し支えないことだけ行って世を渡る覚悟がなければ危険である。噴火山上に舞踏するがごとき愚はなんぴとも避けねばならぬ。押川則吉(おしかわのりよし)氏が製鉄所長官時代に収賄してついに自殺したるがごときは不正行為失敗の一例であるが、自殺せざるまでも収賄のために名士が失脚した事実は軍艦製造に絡まるシーメンス事件といい、復興局疑獄事件といい、松島事件といい、東京市会議員の板舟事件といい枚挙にいとまない。
世上累々たる失脚者の跡を見ると、みな自己精神の欠陥である。自己精神さえ完全であればけっして失敗すべきものではない。失敗を避けんと欲する人は三度思いをここに致すべきである。
