内なる合一の目的は、神へと向かう創造にある。
創造は、常に、性質の違うもの同士が組み合わさることによって起こる。
このとき、それぞれが対極に近ければ近いほど完全なる新しいものが生み出される。
あらゆる分野で50%の知識を持つ者をどれだけたくさん集めたとしても、50%の知識以上の物を創り出すことは出来ないが、一つの分野で100%の知識を持つ者と、全く別の分野で100%の知識を持つ者がタッグを組むと、200%の知識を網羅した何かを創り出せるのである。
ツインレイの男女は、神へと向かう創造のために出生前に縁組され、完全なる新しいものを生み出すために、出会いまでの人生で“対極”を学ぶ。
さて、どの人の内側にも男性体と女性体が存在することは、前回述べたとおりである。
男性体は「陽」の性質を持ち、女性体は「陰」の性質を持つ。
陽は攻撃的であり、自らの外へエネルギーを放出し、その領域を拡大していく。
陰は受容的であり、他者のエネルギーを受け容れ、自らの内に吸収していく。
男性においては、第一身体と第三身体が男性体となる。
第一身体は肉体を司る。
肉体は土台であり、地に根差すものである。
男性が熱心に体を鍛えたり、社会的地位にこだわるのは、この陽性の第一身体が関与している。
第三身体は知性を司り、理論や思考力を発達させる。
そのため研究者やエンジニアには男性が多い。
工作やものづくりに長けているのも男性のほうだろう。
第三身体の能力を使って精巧に構図を描き、第一身体を使って“形”にする。
女性においては、第二身体と第四身体が男性体となる。
第二身体は感情、第四身体は想像力を司る。
女性の特長として、情緒が豊かで共感能力が高いことが挙げられる。
自身の心の動きに敏感な分、他者を気遣い、他者の感情にも無理なく寄り添うことができるのである。
看護師や保育士に女性が多いのも納得できる。
コミュニケーション能力も女性のほうが断然高い。
他者との繋がりがあってこそ、女性は自分の才能を発揮していける。
このように、第四身体までにおける二元性が、男性らしさ、女性らしさをつくり上げる。
この四つの身体をバランスよく調和させることが個人としての完成形とされているが、実際には第四身体への自然な成長にまで入る人はごく少数である。
ほとんどの人は第三身体までで成長を止めてしまうため、自ずと第一身体における性別の要素が強くなる。
一方で、各身体の成長期における生育状態や体験によっては、本来と逆の性質が強く出ることもある。
また、自分の意志で、あるいは環境により後天的に配分を変えることも可能である。
特に今の時代、男性らしさ、女性らしさに縛られることなく自由に選択できる。
よって、女性研究者もいれば、男性看護師もいる。
しかし、ツインレイの場合はそうはいかない。
「片割れ」という表現がよくなされるが、それはすなわち、女性側の身体だけでは不完全であり、同じく男性側の身体だけでも不完全であることを意味する。
勿論、どちらもひとりの人間である以上、個別に四つの身体を持ってはいるのだが、ツインレイにおいては互いの内なる身体に相手の領域が存在する。
具体的には、男性ツインレイの第二身体および第四身体に女性ツインレイの領域があり、女性ツインレイの第一身体および第三身体に男性ツインレイの領域がある。
そのために、自分の身体でありながら、自分のみでは決して調和を図れない。
唯一、内なる合一によってのみ、両者は完成形に至ることができる。
なぜなら、ツインレイは神へと向かう創造の担い手だからである。
創造は、性質の違うもの同士が組み合わさることによって起こる。
男性性と女性性の両方を均等に持ち合わせていたとしても、100%のものは創り出せない。
完全なる新しいものを生み出すためには、男性性、女性性共に100%でなければならない。
それゆえ両者は対極に置かれ、男性ツインレイは男性性を、女性ツインレイは女性性を徹底的に学ばされる。
そして、実はもう一つ、ツインレイの男女が置かれるべく対極がある。
「外」と「内」である。
陽性の第一身体と第三身体を持つ男性は「目で見ることのできる外側の領域」を受け持ち、陽性の第二身体と第四身体を持つ女性は「目では見ることのできない内側の領域」を受け持つ。
「目で見ることのできる外側の領域」とは、この現実世界のことを指す。
そして、その現実世界を扱うのが科学である。
男性ツインレイはこの科学の分野に属し、出会いの時点では、既にある程度の地位を築いている可能性が高い。
では、科学の対極に位置する「目では見ることのできない内側の領域」が指すものとは?
『科学的な知性と、宗教的なマインドの間にバランスがとれる時にはいつも、大いなる高みが達成され(る)。』
(OSHO講話録『奇跡の探求Ⅱ』第五章)
答えは、宗教である。
この宗教的マインドを養うために、女性ツインレイは、「神」という言葉が何の違和感もなく日常会話に出てくるような家庭に生まれ、宗教的道徳観に基づいた養育を受けて育つ。
宗教的教育は第四身体の自然な成長へ至るための重要な要素ともなる。
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無論のこと、両者は決して混ざり合ってはならない。
神へと向かう創造のために、科学が100%、宗教も100%の状態での合一が求められる。
なお、以下は、おそらく知らない人などいないであろう高名な物理学者の言葉である。
「宗教を抜いた科学は不完全であり,科学を抜いた宗教は盲目である。」
―アルバート・アインシュタイン
OSHOの言う「大いなる高み」の一例である。