
こんばんは、mimicです
今日は久しぶりに、
記者さんとのやり取りのなか
思うところがあったので
それに関連したことを
書き残しておこうと思います
鑑定後の反省は
好きな詩をただ見つめながら
鑑定内容を反芻するのですが
このところ、
日本の数学者・岡潔先生のことばが
支えになっています
テレビ放映もされていたようで
ご存知のかたも多いでしょうが
もしも知らないというかたのために
引用させていただきたい
数学はどういうものかというと、
自らの情緒を外に表現することによって
作り出す学問芸術のひとつであって、
知性の文字板に、欧米人が数学と
読んでいる形式に表現するものである。
私は人には表現方法がひとつ
あれば良いと思っている。
「数学なんかをして人類にどういう利益があるのだ」
と問う人に対しては
スミレはただスミレのように咲けばよい
のであって、
そのことが春の野にどのような影響があろうと
なかろうとスミレのあずかり知らないことだ、
と答えてきた。
岡潔~春宵十話~
素敵なことばですね、およそ
数学者から出るとは思えない
ことばではないでしょうか
ほんとうはここでシメるところ
かもしれませんが、ええと
そう
私の支えになってくれている、
というお話しです
反省内容はだいたい決まっていて
(果たして占いで人のこころが本当に
解決できるのだろうか)
(カード占いで人の何かを決める事は
どうにも軽はずみで怪しい)
(鑑定しても従わない人がほとんど
なのに何の意味があるのか)
(鑑定の分を超えてことばを
かけてしまっていないか)
こんな想いを繰り返すたびに、
上滑りな感じがしていました
スミレは
本分をまもりながら
それでもある限りを出し尽くす
イメージです
どう思われるか、どう見られるか
なんてスミレは考えなどせず
透明な心でいるのでしょう
天才が言うからこそ、さらに
深いのではないでしょうか
先生のいう
“表現方法” ですが、
“特技=仕事”
として詠んでいます
先生が数学の研究をつとめとして
いたことが理由です
先生の本には、
一休のことばのように
「おごらず、かざらず、いつわらざる」
目線でみた世界がありました
岡先生や一休、どちらも
天才・偉人であっても等身大で
自然と共に生きておられました
彼らのいうように
私も生きたいと思いました
偉人のことばをわざわざここに
書き記し同じように生きれるか
と考えるのも少しおこがましい
気がしますが
「占い師なんかを生業にして
あんたも周りにも何の得があるの?」
という言葉にたいしては
うらない師を始めた時から
私にはこのほかの選択肢はなく
社会との関わりにおいて、
もっとごまかさずにいうと
仕事と呼ばれる範囲の人との
繋がりにおいて、
うらないを抜きに、もう思いつく
ことがありません
ひとつの事だって、
いつの日か続けようと誓った
あの日の日記のように、
継続してゆくのは難しい
と思います
しかし、いそしむことで
ここから見えてくる世界も
あるのでしょう
自分が全くの凡人で、まして
人より器用でないことが
嫌になるほど分かったので
いまそう思っています
~参考~
世界が驚愕した謎多き日本の天才数学者 岡潔
※ここに出てくる娘さんの証言は貴重です。また会話に登場する
当時の学校の先生がお使いになる日本語が美しいのに驚かされます。