とにかく私は出来るだけ遠くへ離れることしか


考えていませんでした。


信号は相変わらず停電していました。


これだけ大規模に停電しているなんて


相当広い範囲でやられているんだと


肌で感じました。


家のほうがどうなっているかは分かっていませんでしたが


とにかく帰ることしか頭にありませんでした。


問題はガソリンでした。


その時はまだ半分ほど残っていましたが


下で帰るとなると恐らく足りなくなることは


分かっていました。


すると偶然なのか


コンビニとスタンドが交差点にあったのですが


その辺は両方とも電気が点いているのです。


これを逃してはいけないと思い


すぐに入りました。


幸いその時点ではみんなはガソリンを


入れようとするより帰ろうとしていたのか


正直混んではいませんでした。


ガソリンを入れて


そこで初めてテレビを見ました。


大規模に崩壊して津波で流されていたのを


見た気がします。


そして親からのメールに気づきそこで


現在地と状況、これから帰ることを伝えました。


電話はもちろん通じませんでした。


一息つく間もありませんでしたが


トイレに行き、持っていたお菓子を少し食べると


地図を見て帰りのルートを探しました。


交差点を見渡すとすごい車の数です。


みんながそれぞれ家に向かって


逃げようとしているのがよく分かりました。


私たちはこのまま51号を行き、


296号にのることにしました。


それからしばらくは


正直あまり覚えていません。


ただ走り続けただけです。


成田空港付近を通ったときは


空港は広いだろうから


一時そこにいてはどうかとも思いましたが


結局そのまま走り続けました。


296号に入ると


それからが最悪でした。


まったく動かないのです。


まったくです。


そんなですから


歩道を走っていくバイクもいたくらいです。


途中、あまりに動かないので迂回もしましたが


結局通行止めで引き返すことになるのです。


もうその頃は空は暗くなっていました。


20時ぐらいになって


どこかは忘れましたがラーメン屋に入りました。


お客さんは普通に見えました。


残念ながらテレビは無かったので


これといった情報は得られませんでした。


なにより自分は花粉症なので目がかゆかったのを


覚えています。


道は相変わらず大渋滞です。


ガス欠になる車もあったかもしれません。


ユーカリが丘駅までようやく来て


ホテルを見たとき家に帰ることをあきらめました。


しかし考えることはみんな一緒です。


もう満室で入れませんでした。


さらに走るともう一つありました。


そこも入れませんでしたが


一階にある部屋を休憩室として開放していたのです。


私たちはいわゆる帰宅困難者でした。


目は花粉にやられて真っ赤です。


どうなるかは分かりませんでしたが


とりあえずキャンセル待ちで部屋を予約しました。


テレビを見ると津波の映像ばかりでした。


(つづきは後日更新します。)