私たちは茨城県の大子町を9時前に出発、
笠間市の出雲大社常陸分社に行くため118号線を走り、
那珂ICから常磐道にのり水戸まで行き、
残りは下の50号を走りました。
そこには30分ほどいたでしょう。
国造りをされたという神さまがまつられているところです。
そこからすぐの所に北関東道の笠間西ICがあるので
そこから高速にのり、
新しくできたと思われる笠間PAで休憩をした後
水戸大洗ICまで行きました。
初めての大洗でしたので私たちは大洗海浜公園のほうへ行き
アウトレットそばにあったレストランで昼食をとりました。
レストランを出たのは午後2時35分ごろでした。
そこからは神栖市に予約しているホテルに向かうべく
51号を南下しました。
鉾田市を走っている時です。
地震がきました。
はじめ、自分は前輪をパンクをしたと思いました。
私の妻は後輪をパンクしたと思ったそうです。
50,60キロぐらいで走っていたので
慌てると危ないと思い、バランスを崩さないように
スピードを落としつつ左に寄せました。
そうしてみると
はじめて地震だと気づきました。
後ろを走っていた車も止まりました。
対向車線の大型トラックも止まっていました。
左右の塀は上の方から崩れはじめ
トラックも大きく左右に揺れていました。
今まで感じたことのなかった揺れの大きさだったので
非常に怖かったです。
後で知りましたが、そこでは震度6弱ということでした。
しかしその時点では大変なことになっているとは知らず
自分たちは予定通り北浦の鹿行大橋を渡り、
霞ヶ浦大橋での景色でも見ようと思っていました。
ふと気づいてみると信号が全て消えていました。
かなり揺れたので停電したのだろうと思いました。
しかし、354号を右折し鹿行大橋の近くまで来ると
大変なことになっていることにようやく気づきました。
橋への道が近隣住民によって封鎖されているのです。
聞くところによると橋が落ちたということなのです。
外には何人もの人がいて
ラジオを持った年配の方は津波が来るということを
話していました。
自分たちは一先ずホテルに向かってみることに
しました。
18号を南下、鹿島神宮駅の方は通れないと聞いたので
迂回、51号から124号へ出ました。
するとすごい数の車で渋滞していました。
前の方へ進んでいくと
左には水が見えました。
それが海水なのか溢れてきた地下水なのかは
わかりませんがとにかく左側は水が見えました。
地下で水道管が破裂したのか吹き出ているのも見ました。
鹿島港が内側に入っているのでそこから来ていたのかとも
後からは思いました。
やがてようやく交差点までくると
渋滞の理由がわかりました。
はっきり覚えていませんがおそらく堀割川の交差点です。
向こう側はもう水で冠水していたのです。
交差点の真ん中には警察官が立っていて
迂回するように指示していました。
反対車線からは逃げてくる車で一杯でした。
そこでようやくホテルはもうダメだろうと思い
旅行は中断して自宅へと向かうことにしました。
警察官にどの道なら通れるのかと聞くと
動かない方がいいと答えました。
そんな訳にはいかない、水が来る前に遠くへいかなくてはいけないと思いました。
とりあえずダメもとで近くのインターの潮来へ向かいました。
途中にある潮来の道の駅は既に一部冠水していました。
さらに段差ができてしまい逃げられない車もあったそうです。
インター入り口付近ではトラックが何台も止まっているのを見ました。
聞いてみると既に通行止めということでした。
よく見ると反対側は入り口に詰まった車で一杯、
もはやそこから動けない状態でした。
トラックの運転手の話では
鹿島港の工業地帯の方から大きな爆発音が聞こえたそうです。
自分たちは上がっている黒い煙は普段からのものだと
思っていましたが違うそうです。
いつもはあんなんじゃない、あれは燃えてんだよ、
と言っていました。
その運転手は自分たちは下でとにかく成田方面に
向かったほうがいいと言っていたので
そのようにしました。
とは言ったもののここは茨城、
水だらけ、橋だらけです。
車は渋滞、路面はところどころに亀裂が入り
その亀裂によって持ち上がり動けない車も見ました。
必死にナビを見ながら走っていっても
通行止めの箇所が多数ありました。
潮来大橋だったと思いますが30センチの段差ができてしまい
通れないのだと婦人警官が言っていました。
その後、どの辺だったでしょうか
完全に路面が大きく割れ、割れた所が更に割れているところがありました。
こんな状態の道路など今まで見たことが無かったので
正直まずいと思いました。
路面が通れるのか通れないのか分からないまま
通らなくてはいけないことに不安を感じました。
しかし通れる道はわずかでした。
ゆっくり進みました。
ちょうど割れたところを通っている時です、
二度目の地震です。
一回目の地震の時とは比べ物にならないほど
怖かったです。
割れたところが更に割れるのではないかと思いました。
しかしバイクを倒れないようにするのが精一杯で
何もすることができませんでした。
一段落した時に妻を後ろから降ろしました。
その方が妻は逃げやすいと思ったからです。
しかし恐れたことは起きず、
揺れはおさまりました。
すぐさまそこを後にし、ようやく水辺から離れることができました。
(つづきは後日更新します。)
笠間市の出雲大社常陸分社に行くため118号線を走り、
那珂ICから常磐道にのり水戸まで行き、
残りは下の50号を走りました。
そこには30分ほどいたでしょう。
国造りをされたという神さまがまつられているところです。
そこからすぐの所に北関東道の笠間西ICがあるので
そこから高速にのり、
新しくできたと思われる笠間PAで休憩をした後
水戸大洗ICまで行きました。
初めての大洗でしたので私たちは大洗海浜公園のほうへ行き
アウトレットそばにあったレストランで昼食をとりました。
レストランを出たのは午後2時35分ごろでした。
そこからは神栖市に予約しているホテルに向かうべく
51号を南下しました。
鉾田市を走っている時です。
地震がきました。
はじめ、自分は前輪をパンクをしたと思いました。
私の妻は後輪をパンクしたと思ったそうです。
50,60キロぐらいで走っていたので
慌てると危ないと思い、バランスを崩さないように
スピードを落としつつ左に寄せました。
そうしてみると
はじめて地震だと気づきました。
後ろを走っていた車も止まりました。
対向車線の大型トラックも止まっていました。
左右の塀は上の方から崩れはじめ
トラックも大きく左右に揺れていました。
今まで感じたことのなかった揺れの大きさだったので
非常に怖かったです。
後で知りましたが、そこでは震度6弱ということでした。
しかしその時点では大変なことになっているとは知らず
自分たちは予定通り北浦の鹿行大橋を渡り、
霞ヶ浦大橋での景色でも見ようと思っていました。
ふと気づいてみると信号が全て消えていました。
かなり揺れたので停電したのだろうと思いました。
しかし、354号を右折し鹿行大橋の近くまで来ると
大変なことになっていることにようやく気づきました。
橋への道が近隣住民によって封鎖されているのです。
聞くところによると橋が落ちたということなのです。
外には何人もの人がいて
ラジオを持った年配の方は津波が来るということを
話していました。
自分たちは一先ずホテルに向かってみることに
しました。
18号を南下、鹿島神宮駅の方は通れないと聞いたので
迂回、51号から124号へ出ました。
するとすごい数の車で渋滞していました。
前の方へ進んでいくと
左には水が見えました。
それが海水なのか溢れてきた地下水なのかは
わかりませんがとにかく左側は水が見えました。
地下で水道管が破裂したのか吹き出ているのも見ました。
鹿島港が内側に入っているのでそこから来ていたのかとも
後からは思いました。
やがてようやく交差点までくると
渋滞の理由がわかりました。
はっきり覚えていませんがおそらく堀割川の交差点です。
向こう側はもう水で冠水していたのです。
交差点の真ん中には警察官が立っていて
迂回するように指示していました。
反対車線からは逃げてくる車で一杯でした。
そこでようやくホテルはもうダメだろうと思い
旅行は中断して自宅へと向かうことにしました。
警察官にどの道なら通れるのかと聞くと
動かない方がいいと答えました。
そんな訳にはいかない、水が来る前に遠くへいかなくてはいけないと思いました。
とりあえずダメもとで近くのインターの潮来へ向かいました。
途中にある潮来の道の駅は既に一部冠水していました。
さらに段差ができてしまい逃げられない車もあったそうです。
インター入り口付近ではトラックが何台も止まっているのを見ました。
聞いてみると既に通行止めということでした。
よく見ると反対側は入り口に詰まった車で一杯、
もはやそこから動けない状態でした。
トラックの運転手の話では
鹿島港の工業地帯の方から大きな爆発音が聞こえたそうです。
自分たちは上がっている黒い煙は普段からのものだと
思っていましたが違うそうです。
いつもはあんなんじゃない、あれは燃えてんだよ、
と言っていました。
その運転手は自分たちは下でとにかく成田方面に
向かったほうがいいと言っていたので
そのようにしました。
とは言ったもののここは茨城、
水だらけ、橋だらけです。
車は渋滞、路面はところどころに亀裂が入り
その亀裂によって持ち上がり動けない車も見ました。
必死にナビを見ながら走っていっても
通行止めの箇所が多数ありました。
潮来大橋だったと思いますが30センチの段差ができてしまい
通れないのだと婦人警官が言っていました。
その後、どの辺だったでしょうか
完全に路面が大きく割れ、割れた所が更に割れているところがありました。
こんな状態の道路など今まで見たことが無かったので
正直まずいと思いました。
路面が通れるのか通れないのか分からないまま
通らなくてはいけないことに不安を感じました。
しかし通れる道はわずかでした。
ゆっくり進みました。
ちょうど割れたところを通っている時です、
二度目の地震です。
一回目の地震の時とは比べ物にならないほど
怖かったです。
割れたところが更に割れるのではないかと思いました。
しかしバイクを倒れないようにするのが精一杯で
何もすることができませんでした。
一段落した時に妻を後ろから降ろしました。
その方が妻は逃げやすいと思ったからです。
しかし恐れたことは起きず、
揺れはおさまりました。
すぐさまそこを後にし、ようやく水辺から離れることができました。
(つづきは後日更新します。)