知らない事がたくさんある方が面白い
謝花(以下「謝」):
Vnを始められたのは何歳くらいの頃ですか?
井阪(以下「井」):
5歳です。
謝:
それは親御さんからの?
井:
母が家でピアノを教えていたので小さいころからピアノは弾いていたのですが、5歳の時に家にあったヴァイオリン ―― 母が学生のころに趣味で習っていたようで ―― を初めて見たんです。丸みがあって、木の色をしていて愛らしいなと思いました。
それでヴァイオリンを習いたいと言ったのですが、最初はダメと言われてしまい、そこで自分で厚紙を切って、立体の小さいヴァイオリンを作りました。ちゃんとタコ糸で弦を4本張って。
謝:
買って貰えないから段ボールでNintendo Switch作って、ゲームの絵を描いてゲームをしている気になってる子供みたいな感じですよね(笑)。
井:
そうです(笑)。
謝:
そういう感じを見せられて、あまりにもっていう・・・
間嶋(以下「間」):
熱意ですね。
井:
自分でも、どうしてそこまでやりたかったのか良く分からないのですが・・・
間:
その時はお母様は弾いてなかったんですか?
井:
弾いていませんでした。
謝:
それでVnを5歳からずっと...。
井:
はい。それでも幼稚園から教育大の附属校に通っていたので、勉強と音楽どちらをメインにするか迷っていて、受験を考えたレッスンを受けた事はありませんでした。中学に進学したときに、周りの学力がぐっと上がり、勉強で進学するなら勉強一本に絞らないといけないと思いました。
すごく迷ったのですが、やはり音楽をやりたいと思って。それで先生を探し始めました。自分で・・・
謝:
え、そこも?
井:
はい(笑)
当時、音楽の友をよく買って読んでいて、田中 千香士先生がいらっしゃる講習会を見つけたので行ってみました。そこで初めて専門的なレッスンを受けたという感じです。
謝:
それがプロを目指し始めたキッカケと。
井:
そうです。それまでは近所の子どもたちをたくさん教えていらっしゃる教室だったので、千香士先生の所に行って初めてパガニーニを弾いている人を目の前で見て、とにかくビックリしました。こういうものをみなさん普通に弾くということを知らなかったですし、カール・フレッシュの音階も千香士先生のところで初めて知りました。その時に「プロになるというのは、こういう事が当たり前にできるようになるという事なんだな」と思いました。
間:
そこで嫌だとか辞めたいと思った事は...?
井:
あまりにもなにも知らなかったせいか、逆に大丈夫でした。
間:
楽しかったんですか?
井:
楽しかったですし、知らない事がたくさんあるのは面白くて。それまでコンクールもほとんど受けたことがなかったので、全然周りを見る機会がありませんでした。
千香士先生のところに行って、5、6歳上の(東京)藝大のお兄さんお姉さんたちを見て憧れていました。比べることがなかったので、嫌にはならなかったです。
謝:
最初からレベルを知ってしまっていたら挫折を・・・
井:
そうかもしれないです。
謝:
そういう形で本格的なレッスンを始められたと。で、僕のイメージなのかも知れないんですけど、プロを目指された際に、京都にお住まいなら堀川から東京藝大とか、そ
ういうのが王道というか一般的なルートだと考えてしまうんですけど、確か桐朋には高校から進まれていますよね?
井:
そうです。
謝:
何故いきなり(高校から桐朋へ)?
井:
最初は千香士先生のいらっしゃる藝高を受験しようと思っていたのですが、まだ本格的に始めて間がなかった私にとっては藝高の課題曲が負担でした。そこで、千香士先生にご紹介頂いて石井 志都子先生 ―― お二人はパリ音楽院の時代からお友達だったらしいのですけれど ―― に中学3年の秋からお世話になって、桐朋を受験しました。
間:
遠くに行くという事に抵抗は無かったですか...?
井:
それが全然無かったのです。
謝:
親御さんも「そういう性格だから(仕方ない)」みたいな感じでしたか?
井:
そうですね。一人っ子なのですけれど、小さい頃から何でも自分でやってしまう性格で、ひとりで食料を買いに行ったりとか、書類なども自分で書いたりしていました。ですので、一人暮らしの心配は私も家族もしてなかったような気がします。
謝:
その時点でそこまで・・・
間:
高校受験でそこ(桐朋)に行くってね・・・
謝:
ヴァイオリンもそうですけど、その時点で全部自分で選択してきているというのは・・・
井:
珍しいかも知れないですね。家での練習も親が付き添っていた事がなくて、ひとりでやっていました。
間:
すごいですよね。
謝:
見なくても出来るでしょう?って感じだったんですかね。
間:
お母様が音楽をやられてた方だったなら練習の口出しとかしそうですけどね。
私はピアノを3歳くらいからやってた時があったんですけど、母がレッスンも付いてくるし、家でもああだこうだってずーっと言われて、弾きながら間違えたら怒られたりして泣き泣きやってたんですけど、そういうのは全く無かったんですか?
井:
全然無かったです。
間:
私の場合は母に言われないとピアノに向かわないっていうことでそうなってたんでしょうけど、それが無くても・・・
TV観たいとか他に楽しい事がある中で、言われなくても楽器に自分で向かって行くって、凄く意志の強い子だったのかなって思いますね。
「何してたんだ」と思ったパリ生活と、そこからの脱却
謝:
高校・大学(1年まで)と桐朋に行かれて、その後留学をされていますけど、キッカケは何でしたか?
井:
それまでお世話になった、田中 千香士先生も石井 志都子先生もそうでしたし、副科でピアノを習った鶴園 紫磯子先生(桐朋学園大学講師)も、担任だった金子 仁美先生もみんなパリ音楽院出身の方々でしたので、そういう環境にいたのもあってフランスに行きたいと思って、取り敢えず2年間行ってみました。
コンサートとオペラとバレエをひたすら観に行って満喫はしたのですけれど、楽器と向き合うという意味では合わなくて・・・結果的にスイスのローザンヌでピエール・アモイヤル先生のレッスンを受けた際に「ここしかない、この先生以外考えられない」と思い、そこから真面目に勉強を始めて。
留学の最初の2年間は「私はここで何をしていたんだろう?」というくらい、コンサートしか行っていなくて・・・
謝:
どのように合わなかったんですか?想定とギャップとか・・・?
井:
ひとつは住環境で、家賃がものすごく高いのに壁が剥がれていたり、天井がカビだらけだったり、水回りはおかしい、お湯は1回シャワーしたら12時間でないというようなアパートが、東京の比ではないくらい高いのです。街の汚さもストレスになりました。
メトロ(地下鉄)も本当に危なくて、居眠りなんてできないし、スマホを手に持っていようものなら掏られますから、本体は鞄にしまって、イヤホンマイクを使って通話します。そういう場所で生きていくのは本当に大変で・・・
謝:
それは無理ですね・・・そもそも留学以前の問題ですよね。
井:
ですから、あの街に住んでいる人たちは本当に強いですよ。慣れる人もいるのですけれど、私にとっては生きることそのものがストレスでした。
間:
旅行程度にしか行かないですけど、すごいですよね。地下鉄が嫌すぎて、汚いし薄暗いし・・・
井:
雰囲気が良くないですしね。それにストライキもすごかったです。
謝:
え、今時ストライキやるんだ・・・
井:
丸々1ヶ月、メトロもバスも本数が1/3くらいになったことがありました。
謝:
何十年前の日本だよ、みたいな(苦笑)。
井:
エールフランスでもストライキがありましたけれど、複数ある労働組合のうち半数の組合がストライキを起こしたら乗務員が足りなくなって飛行機が飛ばせないのです。そういえば、オペラ座もストをやっていました。休日出勤のある業種に対する年金法が変わることが理由だったと思います。
「人生はアドベンチャー!」という感じですべてを楽しめる人なら良いと思うのですが(笑)。
間:
行ってすぐにストレスというか、「嫌だなー」って思いましたか?
井:
というより、行ってすぐにストライキに遭遇したので・・・(笑)。
謝:
それはトラウマになりますね(苦笑)。
井:
後は、パリの生活の刹那的な楽しさが良くないな、という思いもありました。
音楽だけではなく、料理、デザイン、服飾、語学留学などで、とにかく驚くほど日本人が多いのです。どの分野でも教育水準が高いので、たくさんの人がパリに集まって来ますし、日本人だけで人間関係が完結してしまう環境でした。
間:
確かに旅行レベルでも、現地で日本語が適当でも通じる人もいますもんね。
井:
そうなんです。気付いたら日本語しか話していないということがよくありました。日本人同士の集まりが多く、それはそれで楽で楽しいですし、遅い時間まで友達の家で飲んでいたり。
間:
あの国は夜が長いですもんね。
井:
はい。ですから、まずきちっとした生活をするには強い意思がいります。みんなでサボれば怖くないので、難しい環境ですね。
桐朋時代は朝5時10分から学校が開いてたので、始発に乗って学校行ってました。家から桐朋に行って、授業が始まるまでの2時間ちょっと練習して・・・ってしていたのですけど、それは皆そうしてるからってのもあって、そういうのはできない。
このような生活から抜け出すには、この場所から離れるしかないと思いました。流されやすいと分かっていましたし、そこまで強く自分だけが違う行動を取れる性格ではないので、その解決策はそこから離れるしかなかったです。
ですので、(アモイヤル氏に習うために移住した)スイスは最高の環境でした。私が住んでいたところは、おじいちゃんおばあちゃんが多い村のようなところだったのですけれど、朝7時に散髪屋が開いているんです。「7時に髪切ってるよ...」って(笑)。
間・謝:
(笑)
井:
スーパーも7時から開いていました。そのかわり閉まるのも早いので、夜更かしもしないし、朝は早いです。
間:
日本にいた頃と変わらない生活ができると。
井:
そうですね。そしてやっぱり精神的に安定します。ちゃんとした生活をしている、という肯定的な感情が、心にも体にもよかったです。
ー 2009年、フランスにて。
ー スイス ローザンヌの風景
アモイヤル先生は、生徒が一番良く魅せられる方法を知っている
謝:
そうやってパリから離れてアモイヤル先生の元に行かれたんですね。
井:
そうです。
謝:
アモイヤル先生のレッスンって、どういうレッスンでしたか?
井:
石井先生とも共通するのですけれど、相手やシチュエーションによっておっしゃる内容が変わります。
表面的に受け取ると、「言っている事が毎回違う」となってしまうのですが、そこにはいつも理由があります。同じバッハのフーガでも、ある人にはかなり速いテンポを求める一方で、私が少しゆっくりのテンポで弾いても何も言われません。軽やかさや、リズムやフレーズを強調する解釈の人には爽快なテンポを求められますし、私のように和声に重点を置くタイプの人には、和声の変化を聴かせる時間を与えてくだ
さいます。
謝:
その人の個性を見抜いて、長所を伸ばしに行くというタイプなんですね。
井:
そうですね。どのように見せたら良いかということを熟知されています。その人の持っているものをどのように使えば一番効果的か、ということをいつも見抜かれていると思います。
どうしても足りていない部分についてはかなり厳しくおっしゃいますけれど、かなり具体的なアドバイスをくださいます。例えばヴィブラートの種類が足りていない場合、速さと幅の組み合わせ方などを具体的に説明してくださいました。
そのように理論的に説明されると、「何を悩んでいたんだろう」と思います。自分の思っているような音が出ないと悩んでいたけれど、私、頭使ってなかっただけだった!と気づきます。(笑)
謝:
今、凄く刺さりました(笑)。
間:
確かに(笑)。設計図をちゃんと作るって事ですね。
井:
はい。雰囲気ではなく理論的です。
謝:
その後オーストリアに行かれてますけど、それは別の方に習いに?
井:
いえ、アモイヤル先生がローザンヌを定年退職されてモーツァルテウム大学に移られたので、付いていきました。
それまでドイツ語圏に行くことを考えたことがなかったのですが、ザルツブルクに行ったメリットはあったと思います。ドイツ語検定試験A2を取らなければいけなかったので、ドイツ語を少し勉強しましたし、学校全体のレベルが高くて室内楽も学生オケも楽しかったです。モーツアルト週間という音楽祭の期間に、コルネリウス・マイスターが振りに来てくれたりもしました。モーツァルテウム管弦楽団のエキストラも何度か行きました。
ー 2011年、弦楽四重奏の本番中
ー 2015年、ザルツブルク ピアノ五重奏曲の風景
劇場の空気感とかワクワク感は、その劇場に直接行かないと解らない。
謝:
そうやってオーストリアのレベルの高い所にいらっしゃって、日本に完全帰国されたのが2〜3年ほど前でしたっけ?
井:
2年半くらい前ですね。
謝:
向こうでずっと、とは思われなかったですか?
井:
学生最後の1年は日本に帰りたいとずっと言っていました。そのころから、音楽だけではない暮らし方、例えば家族が欲しいとか、人生の目的に音楽以外のものも加えたいという欲が出てきました。私は、家の中で外国語を話すというのは絶対に考えられなかったので、日本に帰りたかったです。
間:
もっと勉強したいとか、やり残した感じは無かったですか?
井:
勉強は仕事しながらでもできますし、仕事から学ぶことが沢山あります。
ヨーロッパで勉強するメリットの1つは、コンサートが安いことです。パリにいたころ、当時はバスティーユの立ち見が5ユーロだったんです。 ヴァルトラウト・マイヤーのイゾルデも、 アンナ・ネトレプコ のアディーナ(愛の妙薬)も、ナタリー・デッセイのムゼッタ(ボエーム)もすべて立ち見で見ることができました。日本では考えられないです。
間:
5ユーロどころか5000円出したって無理ですね(笑)。
井:
そうですね。パリで就いていた先生がオペラ座のコンサートマスターでしたので、公開ゲネプロのチケットをくださる時があって、カウフマンとか、ヴィラゾンのプローベ(通し稽古)を観ました。カウフマンなんて日本でリサイタルしたら1番安い席でも3万円くらいします。それがプローベとは言えタダって・・・
謝:
そういうシステムが成り立ってるんですね。
井:
人気の公演は立見のチケットを買うために4時間並んだりするので、半日以上予定を空けておかないといけないですけれど、それでもたくさんの公演に行きました。ガルニエ宮はそこにいるだけ幸せですし、何より劇が始まる瞬間のワクワクする感じが大好きです。舞台を生で観た時の空気感やその場にいるという高揚感は、劇場にいかないと感じることができません。
あとは美術館も素晴らしいものばかりで良かったです。美術館にもよく行きました。
正直、ヴァイオリンを弾くことを勉強するために外国に行く必要は無いと思います。日本でずっと勉強してきたヴァイオリニストで素晴らしい方々はたくさんいらっしゃいますので。
ー 2008年、フランスの歌劇場にて。