2011年3月11日(金)、14時46分。東京だともう1~2分遅かったと思う。
地震が発生した日、僕は会議室で会議中だった。
初期微動がしばらく続いたあと主要動。どちらも長い。最初はのんびり構えていたが、あまりの長さと徐々に強くなる揺れに、しまいにはテーブルの下に潜った。
地震が終わると、会議は流れ解散になったので、慌てて自席に戻った。他のフロアでは天井のパネルが外れてしまって落ちてしまったようだが、僕がいるフロアは大丈夫だった。不安も大きいため、防災用ヘルメットをかぶる。
余震が続くが、もう一つの打合せに途中参加した。揺れが来る度に館内放送が流れて打合せどころではない感じ。適当に切り上げて終了。
その後、あたふたとしている間に定時を迎えた。
電車は動いていないため、電車通勤の人はしばらくの間会社待機になったが、僕は自転車通勤だったので、定時に会社を出る。
ぷ~を保育園に迎えに行くのは、おじいちゃんおばあちゃんにお願いしていたのだが、この揺れで無事に行けたのか心配するが、地震発生後から、携帯はとにかくつながらないため、今どうなってるのか検討もつかない。JTRACのサイトを見ると、高速が通行止めになったようで、下道が激混みしている模様。
あまりにも心配だったので、保育園経由で帰ることにした。保育園は引っ越す前のエリアにあるため、昔通った道を保育園めざして走る。保育園が目の前まで来たときに、妻からメールが入り、「早く帰れ」と。ここで僕は勘違いをして、既にぷ~も帰ってきているのかと思ってしまい、保育園に顔を出さずに、今度は一路自宅を目指す。保育園から自宅までは国道20号(甲州街道)をひたすら走るのだが、車の渋滞たるや、ものすごいものがあった。
30分後、何とか自宅に到着。揺れの影響でエレベータが止まってしまっているらしく、階段で上る。家に入ると、妻が開口一番「ぷ~がまだ帰ってきてない」。お迎えに行っている(はず)のおじいちゃんおばあちゃんとも連絡が取れないのだが、保育園には連絡が付いたようで、すでにお迎えには来ていたとのことで、少し安心したが、一体いつ帰ってくるのか分からない…。
不安になっていると、エントランスのインターホンがなり、おじいちゃんおばあちゃんの姿。ほっと胸をなで下ろしたのだった。
その日の夜は、妻はテレビに釘付け。あまりの映像に目が離せないのが、夜遅くまで続いたようだ。
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