リハビリ開始
7月16日に交通事故で左ひざ脛骨&腓骨骨折をし、
7月24日に手術したことは前回まで書いてまいりました。
その後、8月23日からリハビリを開始いたしました。
このリハビリ開始まで、また色々あったんです。
8月22日、執刀医の検診があり、うちから車で1時間半(渋滞次第でそれ以上)かかる
ケソン市の公立の整形外科専門病院へ行きました。
ドクターから、その日からこの病院でリハビリ開始し、
2回目以降は家から近いマカティの病院でリハビリを継続していい、
そのためのリフェラルレター(委託依頼の手紙)を準備してもらえるということでした。
まずはリハビリ科(フィリピンではPhisical Therapy 略してPTと呼びます。
ちなみに妊娠検査もPT→Pregnancy Testっていうんですけどね)へ行き、
リハビリ科のドクターの診断を受けました。
しかしこちらのドクター曰く、
一回目のPTをこの病院でしたら、
途中から他の病院に変更はできず、
最後までここで行わなければならないとの事。
料金を比較すると、
ケソンの公立病院
PT:100ペソ
タクシー往復:600~800ペソ
合計:700~900ペソ
移動時間は往復3~4時間、
その他、待ち時間あり
マカティの公立病院
PT:300ペソ
タクシー往復:200~400ペソ
合計:500~700ペソ
移動時間は渋滞次第で、往復2時間程度の予想。
その他、待ち時間あり。
マカティの私立病院
PT:病院ごとに異なる
タクシー往復:150ペソ程度
合計:病院次第
移動時間は10~20分。
施術時間は予約制。
料金は少し高いけど、ケソンへ行く時間や待ち時間など、時間のロスや労力を考えると、
マカティの私立病院がベストだと判断。
ドクターにその旨を伝え、どこかPTを実施している
私立病院を紹介してほしいと聞いてみましたが、
それはよく分からないから、自分で調べてくださいとのこと。
急いでネットのつながりの悪いケソン市を出発。
都心に戻りながら、PTを実施している個人病院、総合病院を検索。
電話をかけまくりました。
その中で候補を3つリストアップ。
一つはうちの近くの総合病院マカティメディカルセンター。
PTの値段は1030ペソ。
ただ評判を聞くと、患者が多くて、
予約が取りにくそう。
次はスポーツジム。
12,000ペソで1か月で回数無制限。
ただ、ボベは面倒くさがり。
元を取るほど通うかどうか。
無制限でなければ、1回1500ペソ。
ちょっと高め。
もう一つは今まで聞いたことのない病院。
でも、病院の名前から、一番信頼してしまうよ。
東京ヘルスリンク。
日系?
マカティの日系企業が提携しているらしく、
日本の一部の企業保険が使えるらしい。
すごいね。
PTの料金は700ペソ。
候補の中で一番安い。
これで、悩む必要があろうか。
即決しました。
やっぱり日系(もしくは日本人が深くかかわっている)と思うと、
信頼度ががぜんアップするというものです。
私はこの病院の存在を今まで知りませんでしたが、
私の学校から近く、私も今後使えそうな病院です。
良いところを見つけちゃった。
初回の予約に関しては電話ではなく、
リフェラルレターとレントゲン写真を持ってきたうえで、
直接してくださいということだったので、
ケソン市から戻ってくるタクシーで直接乗りつけました。
受付も日本スタイルでゆったりしており、ソファーも十分にある。
なによりキレイ。
翌日の予約が取れ、
手術から1か月たって、ようやくリハビリスタートとなりました。
事故から1か月以上たち、その間全く歩いていないし、
膝を曲げていないので、
曲がらないし、歩けない。
膝を曲げようとすると痛い痛いと騒ぎ出す。
歩き方を忘れてしまったかのような状態ですね。
両足をそろえて、あるいはけがをした左足を一歩前に出して、両足で立ったまま静止。
それぞれ5分。
重心の位置や、トレーナーさんがボベの体をゆすって
重心移動の感覚を思い出させているそうです。
歩行練習。
気持ちばかりが先走って上半身が前に突っ込み、
トレーナーさんに何度も腰のベルトを引っ張られていました。
まだ、両手に手すりを持った状態で、
1m歩くのに30秒くらいかかります。
ちなみに、左足前面に縦にある赤い線が手術の傷跡です。
32針はさすがに大きな傷ですね。
本来はPTの部屋の中には付き添いさんは入れないようですが(張り紙に書いてありました)、
トレーナーさんから私は中に入って、
どのようなマッサージやトレーニングをやっているのかを覚えて、
家で同じように練習させてほしいと言われ、
ずっとそばで見せてもらいました。
トレーナーさん、一目見ただけでボベが怠惰で、
自分ではやらないと感づいたようです。
あなたは正しい!!
歩行練習は、うちに手すりがなく、
またバランスを崩すと危ないので、
それはさせないように、
他の練習を、
特に落ちてしまった左太ももの筋肉を取り戻すためのトレーニングを
重点的にするように指示されましたので、
毎日、ボベのお尻を叩いてさせております。
普通に歩けるようになるまでにどのくらいかかるか、
見当もつきませんが、
とにかくスタッフの方を信じて、
PT頑張らせるしかないですね。
備忘録7 ラスト
ここ一か月ほど、自宅のパソコンからアメブロの管理画面もブログの閲覧もできなくなっておりました。
スマホからは見られるので、回線の問題ではない。
セキュリティソフトやパソコンの設定を見直したり、
いろいろ手を尽くしたのですが、
pingも通らない状態。
お手上げで、他のブログに引っ越ししようかと思っていたのですが、
今日、いきなり繋がった。
何なんだ。
さて、備忘録最後。
事故からほぼ一か月たち、
ようやく8月14日に抜糸(ホッチキス止めだから抜チキス?)が終わりました。
32針刺さっていたんですね。
手術当初は貧血で苦しかったのか、
ぐったりしておりましたが、
最近は改善されてきたらしく、
食欲も出てきました。
ケガ人生活1か月で、じっと寝転がってテレビを見ていることに
そろそろ飽きてきたのか、
暇~暇~とブツブツ言っております。
こっちはボベの世話、仕事、家事、通信教育での勉強&レポート作成と
全部やらなきゃいけないから、休まる暇もないのに、
本当にのん気なものです。
暇なら、勉強せい、勉強を!!
さて今回の事故はTaft通りという大きな幹線道路で起こりました。
この通りにはCCTVが全面についており、
事故の様子もしっかり記録されておりました。
実は事故翌日、この動画を入手し、見たんですね。
はね飛ばされて、宙を舞い、頭か肩から道路にたたきつけられたボベ。
あの動画を思い出すだけで、背筋に冷たいものが流れる気がします。
当日のもうろうとした状態や大量の出血、
翌日見た動画で、
私は内心、最悪のことも覚悟をしておりました。
それが今では、「お腹すいた~、暇~」と
ごちゃごちゃ言うボベ。
私は超現実主義者で目に見えないものの存在なんてまったく信じていないけれど、
どこかにいるかもしれない神様に、感謝しなければなりませんね。
さて、事故後ボベのバイクはバランガイホールという、
町内会事務局のようなところに保管されておりました。
実は事故現場もバランガイホールのすぐ近くだったので、
事故後すぐにスタッフが駆けつけてくれたらしく、
警察の手配もしてくれていたそうです。
でもバイクをずっとそこに置いておくと、色々な心配も出てくるため、
委任状を準備して、ボベの会社(現場のすぐ近く)のスタッフに
取りに行ってもらうことにしました。
しかし、行ってくれたスタッフが言うには、
委任状だけでなく、警察の事故証明も必要だとのこと。
歩けないボベがそれを準備するのは現時点では無理。
警察に行き作成依頼をし、役場に行って証明書発行費用を支払い、
そして後日、警察署に戻って受け取る。
ケガ人にはどう考えても無理でしょう。
悩んだ挙句、
本人をバランガイホールに連れていき、
直接返却してもらい、
壊れたバイクを会社のスタッフに会社へ運んでもらい、
預かってもらうことにしました。
病院以外の久々のお出かけで、ちょっぴりウキウキしているボベ。
本当にアホだ。
道中、
「雨ざらしで放置されているだけだろうから、
動かなくなっているんじゃない?」
「いやいや、すでにパーツを盗まれて、
原型ないんじゃない?」
等とみんなでワイワイ言いながら、バランガイホールへ。
到着後、書類の手続き、身分証明書の確認が済み、
バイクを奥から出してきてくれました。
ジプニーとぶつかった左サイドはボディがベコベコ。
前輪はパンク。
軸が曲がっているのか、
ハンドルがスムースに動きません。
でも、想像していたより、まともな感じで、
修理すれば大丈夫そう。
でも、もうバイクには乗ってほしくないなぁ。
リスクが大きすぎます。
でも、うちのような貧乏っちゃまには、
公共交通機関かバイクが唯一の足。
ジプニーでホールドアップされるのも嫌だし、
都心のうちの周辺は渋滞が多く、
タクシーは乗車拒否されることが多いので、
これもダメ。
タクシー会社を経営している友人は
営業登録を待っているタクシー予備軍の車を
自由に乗ってもいいよと言ってくれているのですが、
この渋滞だらけ&無法地帯フィリピンで、車を運転する気にもなれない。
そうなると、やっぱりバイクなのかなぁ。
悩むところです。
さて、今回バイクを取りに行って、一番衝撃を受けたのは
ヘルメットを見た時でした。
頭のてっぺん付近に大きく傷が入っておりました。
やっぱり頭も打ったんだね。
メットをかぶっていなかったら、
それこそ最悪の事態だったのは間違いないでしょう。
今回の事故で、改めてフィリピンの医療の問題点を実感しました。
付き添いが24時間体制で動き回らなければ何の対応もしてくれない
この医療体制。
大家族の無職だらけで、付き添う時間がたっぷりある人が家族の中にごろごろしている
フィリピン人には良いのでしょうが、
都心の核家族、外国人などには
本当に酷な制度です。
マレーシアでは、公立病院でももっとまともな対応をしてもらえました。
私は遠い昔、マレーシアのめちゃくちゃ僻地の公立病院で、
盲腸の内視鏡手術を受けました。
エアコンがなく、夜中に足を蚊に刺されて大変でしたが、
投薬や支払いで、
私一人でも特に問題はありませんでした。
もちろん、その時ボベは付き添いで来ていましたが、
夜間は付き添いは病室から出されるので、
病院内にいることはできませんでした。
裏を返すと、付き添いがいなくても、
病院でちゃんと対応しますということですよね。
しかし、フィリピンはとんでもない。
もちろん、民間保険に加入し、
ジャパニーズヘルプデスクのある病院に行けばいいのでしょうが、
緊急時は必ずジャパニーズヘルプデスクのある病院に運ばれるかどうかはわかりません。
私の意識がぶっ飛んでいたら、
どういう医療を施してもらえるのか、
例え医療保険に入っていたとしても、
私自身の意識がなければ、
どうなるのだろう。
ちょっぴり恐怖感が芽生えております。
備忘録6 退院後
手術の翌々日に退院したボベ。
病院からは
・許可するまで、絶対にひざを動かさない
・食事は柔らかい物(出来ればおかゆ)
・貧血によるめまいがあるので、長時間背もたれの無い所で起き上がる事は禁止
・足は少し高く上げておく
・2日に一回は傷を消毒し、ガーゼを取り換えること
・シャワーを浴びても良いが、傷を濡らさないようにすること
・カフェインを控えること
などなど、たくさん指示が出ました。
クスリは7種類。
いつも血圧を記録してるホワイトボードに
どれを何錠、いつ飲むのかを
書いておきました。
退院後数日は、私の天敵であるボベ妹がボベのお世話を
手伝ってくれておりましたが、
やはり私とはどうにも合わない。
私が作る料理には、おかゆ以外、一切手を付けない。
彼女には宗教上の制約があるので、
お互い大丈夫なチキンや魚を使っても、
タッパーにこっそり(私に見つかっていないつもりなのでしょう)入れ続け、
数日後に腐った状態で発見される状態。
(フィリピン人はとても保守的なので、
一部の先進的な金持ち以外、
フィリピン料理とアメリカのファーストフード以外の
あたらしい食べ物は、たいてい拒否されます)
ならばと彼女に作らせると、料理下手なので、
クソまずいし(それでも、私は我慢して丸呑みして食べた。
少なくとも、タッパーに入れて腐らせるようなことはいたしません)、
おかゆを2合も作りやがって、
多すぎて3食食べ続けても食べきれず、
最後は繰り返し温めたので、粒が消え去って、
おも湯状態になる始末。
1合で充分だとやんわり注意すると、
その後プイとうちから出て行く。
おかゆに飽きたのか、
自分の分として白米を炊いているようですが、
1合炊いているらしく、
もちろん女の子一人で食べきれないので、
残りのご飯を捨てていた。
もったいないからやめてくれ、
多すぎたのなら、冷蔵庫に入れて次の食事で食べてくれとお願いすると、
それ以降、食事になると、お金をせびってきて、
どこかに行ってしまう。
どうもコンビニでフライドチキンを食べている様子。
私がボベの事でどれだけ出費して、
これからどれだけ節約していかなきゃいけないのか、
彼女は分かっていない。
日本人は無限にお金を持っていると思っているらしい。
この妹、私がインドネシアにいた頃に、私をだましたことがあり、
彼女はお金に関して、価値を全く理解をしていないのです。
フィリピンは出稼ぎが多いので、海外送金のWestern Unionがどこにでもあり、
どんな田舎でも深夜まで送金や受け取りができます。
インドネシア、特に私がいたど田舎では、
Western Unionはさほどメジャーではなく、
一部の銀行が取り扱うくらい。
すなわち、銀行の営業時間内にしか送金できないのです。
当時、僻地のリゾートホテルでマネージメントをしていた私。
突然、妹から連絡がありました。
「明日の朝9時までに学校の卒業試験代を
支払わなければならない。
20000円、大至急送金してほしい。」
当時、ボベちゃんもマレーシアの僻地で働いており、
いきなり今日送金してくれと言われても、
街に出ることができないので無理でした。
私も難しいのですが、たまたまその日はお客様を迎えに空港に行く車があったので、
仕事を急遽早退して、その車で外に出て空港に行く途中の町でおろしてもらい、
慌てて送金しました。
だって、ずっとボベちゃんが彼女の学費を払い続けていたのを知っていて、
卒業試験が受けられなければ、
それまでの支援がすべて無駄になることが分かっていたからです。
何とか銀行に間に合い、送金完了して、
夜ボベに送金した旨を連絡しました。
しかしボベから
「僕は彼女から送金してほしいという連絡を受けていないよ。
卒業試験代はずっと前に僕が送金しているよ。
大体、卒業試験に20000円もかかるわけがない。
あいつ、何を考えているんだ!!
迷惑かけて、ごめんね。
あいつ、だましているよ。」
結局、当時まだ珍しかった、私もまだ持っていない
タブレットやスマホを買ったことが判明。
お金も頭に来るけど、仕事を早退してまで、
会社の人に迷惑をかけてまで送金した
その労力や気持ちを踏みにじられたことが
あれから4年以上たっていますが、
未だに許せないんです。
フィリピンに居ると、往々にして、こういう状況に遭遇します。
こういっては何ですが、貧乏な人ほど、
目の前にお金があると湯水のごとく使うんですよ。
親戚が海外に出稼ぎに行き、海外から送金してもらうと、
返済確実でない長期ローンを組み、
全額浪費し、
結局ローンを返せなくなって手放す。
出稼ぎの人が帰ってきても、
家には一銭も残っていない。
(私はこうして途方に暮れる出稼ぎ帰りのフィリピン人を
数限りなく見てきております。
また、家族が海外に行って、急に羽振りが良くなり
仕事も辞めて送金でのうのうと暮らすクズもたくさん見てきております。)
食事でも、茶碗に米粒がくっついていても、
こそいで食べず、放置する。
お金を稼ぎ出す経験をしてきている人は、
そのお金を生み出す苦労を知っているので、
節約するんです。
ムリだわ。
ボベちゃんは私に遠慮して、出来るだけ妹に任せようとしてくれているのですが、
これなら、私がすべて背負った方が、
経済的にも精神的にも楽だ。
価値観の違いといえばそうなんだけど、
私が今までの人生で大切にしてきたことと
彼女の行動は、あまりにも相いれないものを感じてしまったのです。
ということで、妹にはど田舎タルラックにお引き取りいただきました。
その後は一人でボベのお世話をしつつ仕事をしておりますが、
最近はずいぶん楽になってきたようで、
トイレくらいなら自分で行ってくれるようになりました。
まだ食事の準備やそれを運ぶのはムリですが、
トイレに自分で行ってくれるだけで、
ずいぶん私の負担も減ってきております。
来週月曜日抜糸、その後、リハビリがスタートします。
がんばれ、ボベ。
備忘録5 Our Lady Of Lourdes Hospital 手術~退院まで
今回は手術の傷跡写真があります。
写真はめちゃくちゃ小さくしておりますが、
お嫌いな方は、これ以下、読まないでくださいね。
4時半に手術室に入って行ったボベ。
私は病室でじっと待っておりました。
夕飯が運ばれてきて、再び「アテが食べて良いよ」
といわれましたが、
なかなかそんな気にならず、
もったいないですが、そのままお返ししました。
7時45分、手術室の待合室に来るように呼ばれました。
座ってしばらく待っていると、執刀医のドクターがやってきました。
デジカメで手術中の写真を見せながら、
今回の手術について、
説明してくれます。
肉を切り開いて、骨が見えている写真。
なかなか不気味でしたが、
しっかり見ました。
ともかく、手術は成功しており、
出血もあまりひどくなかったから、
輸血もせずに済んだこと、
明日には退院できること、
これから2時間は手術室内の回復室で監視をし、
その後、病室に戻ること、
病室に戻ったら、今日明日はずっと氷で膝を冷やし続けること、
当面は足の下にクッションを置いて、足を高い位置に保つこと、
これから先の薬やスケジュールの説明を受けました。
ご丁寧に、ありがとうございます。
直後に手術室から回復室に移動するボベと会えました。
疲れ切った表情でしたので、
「大丈夫だってよ」とだけ声をかけ、
見送りました。
はぁ、ほっとした。
すると、お腹がすいた。
病院の一階にあるシアトルズべストでコーヒーとパニーニを買ってきて、
これが私の夕ご飯。
のんびりモソモソと病室で食べていたら、
ストレッチャーの音が聞こえてきました。
ボベちゃん、帰ってきたようです。
10時過ぎだったと思います。
疲れたのか、ぐったりしているボベちゃんは、
しばらく眠っていました。
私は向かいのコンビニに氷を買いに行き、
ボベの膝に当て続けておりました。
夜11時。
ここから地獄が始まりました。
麻酔が切れてきたのか、
顔をしかめ始めたボベちゃん。
普段あまり痛いと言わないのですが、
痛い痛いと言い始め、10分後には、じっとしていられないくらいの痛みに
襲われ始めたらしく両腕でベッドをバンバン叩き、あーあーとうなり始めました。
たまらずナースコール。
すぐにナースが来てくれましたが、
「ドクターから12時半に痛み止めを注射するように指示されています。
まだ早すぎるから、痛み止めは出せないんです。
もうちょっと我慢してください」
と申し訳なさそうに言われました。
仕方がない。
でも、ボベちゃんは歯が折れてしまうんじゃないかというくらい、
歯を食いしばって痛がっています。
どうすることも出来ない私は、手をさすってあげることしかできない。
12時に再度ナースコール。
まだ駄目ですと言われる。
12時20分、ナースコール。
今回はナースが少し遅れてきました。
「ドクターにOKをもらいました。痛み止め、入れますね。」
ようやくです。
しかし、痛み止めを注射してもらったからといって、
すぐに傷みが無くなるわけではありません。
結局ボベがこの日眠ってくれたのは3時。
私は氷を交換しなければならないので、
一睡もせずに朝を迎えました。
冷やすことで、痛みが和らいでくれたらの一心だったのですが、
どうだったんでしょうね。
効果あったのかなぁ。
翌朝まだ痛みはひどいようですが、
昨晩の地獄の痛みより、ほんの少しマシになったようです。
ただ、ご飯を食べる元気はないようで、
届いたおかゆにも、手を付けませんでした。
今日は退院か。
でも、昨晩の状態を見ていた私には、
不安がよぎります。
自宅であんな状態になったら、どうしたらいいんだろう。
退院は嬉しいんだけど、
でも不安。
朝6時に採血。
結果がOKであれば、今日退院。
結果は3時間後にわかりますとのこと。
結果を待っている間に、執刀医の回診。
傷は問題なし。
このドクター的には退院OK。
あとは内科の結果を待ちましょうということでした。
9時半、内科のドクターが結果をもってやってきました。
結論は、
貧血が中度から重度のレベルで、
これでは傷の治りも遅くなるし、
何より起き上がるとめまいがして倒れる可能性が高い、
退院はダメ、
これから1パック、輸血しましょう
ということでした。
結局、輸血かぁ。
ただ、残念と同時にほっとしたのも事実。
家で夜中のようにもだえ苦しまれても、
私ではどうすることも出来ないし、
病院にいてくれた方が安心。
頭の中で逡巡している私に、
ドクターから意外な言葉が浴びせられました。
「輸血を1パックしますから、
どなたか付添いの人か親戚の方に、
1パック分、献血するように手配してください。
血液型は、患者さんと同じではなくても構いませんので。」
つまり、輸血してほしけりゃ、血を提供しろということかい?
提供する人がいなければ、輸血はしてあげないよってこと?
別に、私は献血をしたくないと言っているのではありません。
元々日本にいた時は年一回献血していましたから、
お役に立てるのであれば、喜んでしますよ。
ただね、人の命を救うのに、交換条件を付けてくることに、
納得がいかないのですよ。
医療って、そういう物なの?
また、フィリピンはキリスト教国で、奉仕の精神にあふれているはずなのに、
こんな手段を取らなければ、血液が集まらないの?
この人たちの言っている信仰心や奉仕の精神なんて、
ご都合主義のハッタリじゃん。
そういうことが納得いかないんですよ。
文句を言ってもしょうがないので、
ドネーションルームへ行きました。
ここ一週間、まともに睡眠もとれていないし、
食事も適当になっている状態で、大丈夫か、私。
でも背に腹は代えられないですからね。
窓口で献血の意思を伝え、
ボベの部屋番号を伝えたところ、
英語で言う私に、担当者は驚き、怯えだす。
「外国人?え~と、血は今充分足りているから、
献血しなくていいよ。大丈夫。」
などと言い出す始末。
血管の位置なんて、フィリピン人も日本人も大差ないやろ。
ごちゃごちゃ言わずにとっととやらんかい!!
外国人だからなどと言う、ダブルスタンダード、持ち出してくるな。
私は借りを作るのが、心底嫌いなんだよ。
結局、450㏄の献血。
さすがに、終わった後、私の方がクラクラしていました。
ボベ、感謝しなよ。
さて、ふらふらしながら病室に戻ると、
ボベの輸血はすでに始まっていました。
4時間かけて、400㏄。
この日はゆっくり休むように指示が出て、結果は明日検査することになりました。
輸血で少し楽になったのか、
この日は夕飯を食べてくれました。
というか、飲み込んで一瞬でなくなったと言う感じ。
おなかすいていたんだね。
ちなみに私の夕飯はコンビニの肉まん1個。
私の方がヤバいでしょ。
翌朝、4時に採血。
9時にドクターがやって来て、
まだ標準値には程遠いが、昨日より改善しているので、
退院を許可するということでした。
前の晩、痛みで悶えたりしなかったので、
きっと自宅でも大丈夫。
ということで、今日の退院は嬉しい。
外は大雨。
フィリピンでは、スコールは降りますが、
長時間降り続けるのは非常にまれ。
そのまれな日が退院にあたる、何とも運の悪い私達。
普段はタクシーで20分で着く距離ですが、
どこもかしこも冠水、迂回渋滞で
結局2時間かかって、帰宅しました。
今回の手術・入院代で、
合計20万ペソ(45万円くらい)程度。
このほか、タクシー代や、心づけ費、
ボベ妹への謝礼など、
領収書の無い出費は多数。
うーむ、うちは民間保険に入っていなかったので、ほとんど手出し。
貯金していて、良かった。
と同時に、民間保険に入らなければなりませんね。
反省。
フィリピンに旅行で来る人、
必ず保険に入ってきてください。
私立病院の医療費は、べらぼうに高いです。
日本では3割負担だから、
あまり実感がないと思いますが、
100%負担は、相当すごいことになりますよ。
備忘録4 Our Lady Of Lourdes Hospital 手術までもうすぐ
待ちに待った7月23日。
ボベはようやく手術のために入院しました。
まずは入院手続き。
さすがは私立病院。
受付もきれいで、エアコンも効いている。
スタッフも丁寧だし、椅子に座って待たせてもらえるし、
長々待たされることもない。
公立病院とは大違い。
なんと、一階にはシアトルズベストや美容院もあるよ。
すごいねぇ。
しかし、4人部屋を予約しておりましたが、
満室で、セミプライベート(2人部屋)しか空いていないらしい。
1日500ペソ(1200円)追加で1日分1800ペソ(4000円ちょい)。
たったこの差額で、手術を明日受けられるのであれば、
何の文句があろうか。
部屋の変更を了承し、頭金30,000ペソを支払い、
部屋に案内されました。
これは、病院の手引き
トイレ、シャワー付きで、
付き添いさんが横になれる少しだけクッションのついたベンチもあるぞ。
ベッドには、ナースコールのボタンもある。
いちいちナースステーションに呼びに行かなくて良いんだ。
私立病院、万歳。
ここからは血液検査があり、
その後内科医や麻酔医の診察。
皆さんにこやかで良い感じ。
説明もしっかりしてくれる。
ナースも、患者さんたちに背を向けてケータイいじって、
付き添いさんが何かを聞いても無視したりしないね。
さすがにお値段の高い私立病院。
世の中、お金なのね・・・
微妙な気分になっちゃいました。
ただね、皆さん外国人に慣れていないらしく、
私がナースに英語で話しかけると、顔を真っ赤にして、
「ちょっと待って、ちょっと待ってね」
と言って、他の英語ができるスタッフを探しに
走り去ってしまうのです。
その中で、私に下手な英語で果敢に話しかけ続けた
夜勤のアンさん、ええ人や!!
さて、この日は整形外科の、あの日本語が少しだけわかるドクターは来ないで、
翌朝診察するということだったので、
私はこの日は自宅に帰りました。
ドクターやナースへの心付けを買ってくるのを忘れたのと、
病院を見て、もう少しキャッシュを準備した方がいいと思ったから、
タンス預金を取りに戻ることにしたのです。
病院からジプニー一本で電車の駅まで行け、
そこから駅3つ。
病院の場所は辺鄙なところにあるのですが、
うちに関しては公共交通機関でも移動できてしまう、
何とも便利な病院なのです。
電車を降り、自宅までの間は4つのつながったショッピングモールの中を
通り抜けていくのです。
途中、フィリピンで一番値段の張る「Bizu」というケーキ屋さんで、
美味しいクッキーの詰め合わせを購入。
ドクターとナースステーションにね。
帰宅後、翌日持っていくお金やスリッパやクッションを準備して、
久々にベッドでゆっくり眠れるところですが、
眠れないんですよ。
翌日の手術が気になっちゃって。
病院は立派だけど、フィリピンのドクターの手術の腕、
下半身麻酔になるので、背骨に注射となるのですが、
麻酔医の腕など、
まだ信用できなくて、
結局一睡もできず、
朝5時にうちを出ました。
病院でボベの様子を見たら、
こっちの不安をよそに、
ヘラヘラニコニコ、ご機嫌さんのようです。
全く・・・
ムカついたので、
「下半身麻酔だから、音は全部聞こえるんだよ。
骨をがりがりドリルで削られる音を、
3時間、しっかり堪能するんだよ」
と、意地悪を言い続け、ボベを恐怖に陥れておりました。
まぁね、この一週間、痛みをこらえながら、ボベも不安のどん底にいたんだよね。
ようやくまともな病院にたどり着いて、
ボベもホッとしたんだよね。
自宅にいた間の、眉間にしわが寄った状態から、
この穏やかな表情。
心配しなくていいよ。
きっとよくなるからね。
心の中で涙、口は憎まれ口、
どうして私はこうなのか・・・
さて、この日は手術なので、6時以降の飲食を禁止された様子。
前日には8時までOKと言われていたのに、
2時間、早くなったそうです。
私が到着した時には、
すでにロールパンを食べたらしく、
この日の食事は終了してしまったそうです。
かわいそうに。
8時ごろ、執刀してくれるドクターが回診にやってきました。
しかし、ここで心配な情報が。
前日に行った血液検査の結果、
ヘモグロビン濃度が非常に低い、
中度から重度の貧血状態である事、
手術中、万が一出血が多かった場合には、
輸血をすることになる可能性があり、
念のために血液パックを準備して手術を行うこと(そのリスク)を
了承してほしいということでした。
そりゃね、事故当日、あれだけ出血したのに、まったく止血をしなかったんだから、
貧血にもなるわなぁ。
ボベがOK po, doctorと答えたので、
私が反対する理由はない。
すべてをドクターにお任せします。
この一週間、痛いし、めどが立たなくて不安だし、公立病院はくそボロだし、
従事者たちは知識と技術がないし、インフォームドコンセントなんて言葉はあり得ないし、
英語は通じないし、心がボロボロになっていたので、
私達を助けてくださいという一心。
このまま一か月放置されるのはもう耐えられない。
ドクターに後光がさしているように見えました。
「Kasagoサン、ダイジョウブ。ボベサンハ ゲンキニナル。」
昨日買ってきた美味しいクッキーをお渡しし、
どうか、どうかお願いしますの握手。
後は任せるしかないのです。
手術は5時から。
それまではゆっくり休んでいてくださいねと言われて、
ドクターは去っていきました。
整形外科専用手術室のスケジュール。
いっぱいいっぱいですね。
ボベは時間がかかる可能性があるので、
この日の最後の手術になっていました。
昼頃、ボベちゃんは断食中なのに、ランチを配られました。
断食中だから要りませんといったところ、
んじゃ、アテ(年上の女性を呼ぶときのタガログと)が食べていいですよ
とのこと。
中身は、写真を取り忘れましたが、
卵チャーハンと、ケンタッキー風の鶏のから揚げ。
これ、病人が食べて良いの?
脂っこすぎない?
野菜ないよ。
私が試食。
味はとてもいい。
普通に町の食堂で食べるような味。
でも、塩分濃すぎない?
以前、友人がデング熱で入院した時も、
白飯・フライドチキン・バナナだったもんな。
きっとこの国には、まだ栄養学というものが育っていないんだろうな。
貧しいフィリピン。
栄養云々より、まず食べ物がある、空腹を満たす事の方が重要なんだろうな。
断食中のボベの目の前でモリモリ食べるのは気が引けたので、
3口くらいで、やめました。
どちらにしろ、
心配でのどを通らないし。
そうこうしているうちに、4時になり、
ナースから、もうすぐ呼びに来ますから、手術着に着替えてくださいという指示。
(というか、入院時点で病院服に着替えなきゃいけなかったのに、
起き上がるとめまいがするボベちゃんは、
着替えのために起き上がることを拒否していたんです)
着替えると間もなく、ストレッチャーがやってきて、
ボベちゃんは整形外科用の、病室(整形外科フロアー)と
同じフロアーにある手術室に消えていきました。
これから3時間。
頑張れ、ボベ。















