一段落いたしました。
ぱぱままさんはお部屋でねるモードです

私は扉をはさんだ隣の廊下で、これから書き物をするところ。
この赤いのは日記帳なの
2003年1月1日 start
すごく気まぐれに、更新される日記
けどね、ことあるごとに書いてきてるみたいなんで、6年半の自分がつまってるんだよね
最後にかいたのは
桜川に越してきた日。
3ヵ月まえのはなし。
この3ヵ月がどんな素敵な日々だったか、全然かけてないんだよねー
この、ネットにはかいてても肝心のほうがかけてないんだよねー
なにやってんだよねー

頑張ってよねー!
この日記をすこし見返すと
私がだれだかわかるかもしれない
この日記を見返すと
初心にもどれたりするんだよね
昔の私のほうがしっかりしとる。うん!笑 まじだー







日記をつけだした2003年、買ったのは2002年の冬だった。おぼえてる。
私、当時は中学生だった。
うちの家庭は少し、まあ、私の知ってる友達のなかでは厳しいほうで、駅は2、3つ横の駅しかいっちゃいけないこともあった。というか電車なんて近くにないから使わないから普通かもしれないんですが、、あと数駅遠くに出かけたの。
ビクビクしながらでかけた
その日は雪がちらついてたんだ。
そのころといえば、ダンス以上にバレーボールを本気でやっていた。練習をとにかく自分でしていたり、背番号4がほしくて、先輩より自分がエースになんねん、って、意気込んでたんだな。
監督に気に入ってもらったのか、たまたま場所があいてたのか、ある日、中1でレギュラーになってしまった‥。
中3の先輩のラストの試合も、ださせてもらった。
その年、なんと私らの中学はその土地で1番となり県大会にいった。何回戦かすすんだんだけれど、最後は私が思い切りレシーブでとんだんだけど、ボールは落ちちゃったんだ。
先輩らに申し訳なさすぎて、こんな私が代わりにでてて、情けなかった。
次の年もやってしまった。
最後の一球は、先輩と私との間に、落ちてしまった。
心に残る、痛いつらい、けれど強くさせてくれた一球だったねえ
そゆう思い出なんかも書いてる日記帳。
私たちが中3のラストの試合は
負けるはずないとこに負け
私コートに倒れて呆然としちゃって涙がとまんないわで、意味わからないわで、チームメイトが抱き上げてくれて初めて我に帰った。
「まだ終わったわけちゃうから!」
けど、私たちが勝った相手が
私たちが負けた相手とやったとき、強いチームのエースが突然の故障‥‥
まさか、まさかの弱者チームの勝利‥
どうなったとおもいますか
2チームしか県大会にでれないの‥
まさかの私たちの負け。
数点の、得失点差。
こんなことってあるんだ、、得失点は、そういうことなんや、、失点が私らのほうが3チームで一番多いから、県大会いけなかったんや、、
バレーボールのこわいこわい、一球の、唯一無二の一球の怖さを思い知った。
一瞬たりとも侮れない世界‥
what
?で、何の話だったか‥‥‥!
冬、この日記帳かいにいった話だった!

そうだ、
私が死の淵から生還したときからつけてる日記だ。そうだ。それがいいたかったんやね、私。
いいやいいや
この話は私もうそろそろ葬ります!
生まれ変わったから
私はいま、まだ6歳なんよね。
みんなが年上だったりして。
よし、3ヵ月分を凝縮した日記をつける!大阪のラストdayだ。
ありがとう、大阪!
まき