田中眞紀子さんは 親中派なので、アメリカとは なじまない。
① 日本の内閣の方針と合わない言葉を公言
彼女は、2001年4月26日に(小泉内閣の)外相に就任。日本政府の閣議でミサイル防衛構想について反対の立場を決めたことはないのにも関わらず、眞紀子外相は アメリカ合衆国のアーミテージ副長官との会談で、ミサイル防衛構想への批判を公言した。
② 外国要人との会談を直前に中止
外相在任中、アメリカのパウエル長官との電話で、アーミテージ副長官が来られることは楽しみにしていると語った。しかし、2001年4月に、アーミテージ副長官が日本に来て小泉首相に会うための日程を決めようとした時、彼女は直前にこれをキャンセルした。
③ アメリカ合衆国の機密情報を漏洩
アメリカ同時多発テロ事件の直後、眞紀子外相は 機密情報であるアメリカ大統領の避難先を記者会見でしゃべってしまった。当時国民の間で圧倒的な人気を誇る眞紀子の外相罷免を避けた小泉首相は、とりわけ対米外交において外相の頭越しに外交を行わせるようになる。
【更迭と外相辞任】
外務大臣在任中、北方領土返還をめぐる方針や外務省改革などを巡り、当時の衆議院議院運営委員長で、外務省に強い影響力を持っていた鈴木宗男との抗争や官僚との軋轢が報じられた。ごく短期間に事務方の秘書が4人交代し、中には体調を崩して入院する者も出ていた。
2002年1月28日の予算委員会は、田中外相と事務方との答弁の食い違いで大紛糾した。翌29日、小泉首相は田中大臣と野上次官を官邸に呼び二人を更迭した。
眞紀子さんは「一生懸命やってきたつもりだったんですが」とカメラの前で涙を流した。圧倒的な人気を誇る彼女を更迭したことで、小泉内閣の支持率は30%程度急落した。
彼女の抵抗は、トランプ前大統領や プーチン大統領に比べれば、本当に ささやかなものかもしれない。
でも、コロナ·ワクチンを買いすぎて、幼児たちにも接種を促そうとしたり、先日のキッシンジャーの来日で脅され、すべて言うなりになった 岸田首相は、あまりに情けない。
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