海外生活があった事もあって、飛行機にはお世話になりました。

もちろん、これだけ触れていれば、多少なりとも愛着が湧くわけですが。

もしそれが仕事で、長年勤務し、やがて引退した飛行機ともなれば、私の感情なんてちょっとしたものでしょう・・・

専門学校で、先輩先生であり同僚でもあった、文字通り当時の“スチュワーデス”の方にお誘いをいただきまして、所沢の航空公園に展示してある「YS-11機」の内部公開に行ってきました。(2014.05.17)



天気もよく、お出かけ日和となり、土曜日ともあって、ちびっこ達もたくさん来てましたよ。



とは言っても、私の知らない世代の飛行機です。

前回の東京オリンピック時に、聖火の炎を運んだとか、↑にも書きましたが、スチュワーデスと呼ばれていた時代の飛行機ですね。

ですので、ANAではなく、エアーニッポン株式会社ANKです。

後に、全日空であるANAの連結子会社となるわけですが、当時はANKアンクとして飛んでいたんですね。

もちろんエンジンはプロペラ。

1978年(昭和53年)4月、全日空から日本航空機製造YS-11型機と羽田大島線、羽田 三宅島線の移管を受け、活躍していました。

中で立っている人からもわかる様に、背は低く、荷物を入れるトランクはありません。

もちろん座席も、今の様なフワフワ感はなく、軽量に軽量を重ねた構造で、長く座っているには向かない感じでした。

ちょっとこの写真では見えなくなっちゃいましたが、乗務員・CAという表現は無くスチュワーデス。

呼び出しボタンも座席ではなく、上についてますね。



そして時代でしょうか。

英語と日本語がごちゃまぜの手書きの操作マニュアル。

そして当時この飛行機を飛ばしていたメイン、コックピットです。

現コックピットと比べると、明らかにボタンの数が少なく、計器が多く存在します。

今ではモニターでいくつかの情報をまとめて表示できますが、当時はすべてが別。

必要な数だけ計器があったのです。

しかし、逆に現代の様な複雑な構造ではなかったので、操作に必要なボタンは少なく、しかも一つのボタンに一操作しか役割が無かったのだそうです。

今は、ボタンの組み合わせによって、その役割も違うので、数と合わせると何千と言う操作が必要な事になります。

それだけ複雑になったんですね。

と、当時乗務員だった方が隣にいたという事で、展示コーナーにいた人たちを合わせても、おそらく1,2を争う知識量だったことでしょう。

お勉強になりました。

もちろんその後は記念館に行って、飛行機そのものの歴史と、人生初の墜落を起こして帰ってきました。

シュミレーターで(涙 まぁ落ちましたね。

機械のお姉さんは「おしい」って言ってくれましたが・・・




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