一通のメッセージが届いていました。
届いていました、とは言ってもそのメッセージはTwitterを辞めた頃くらいに。
メッセージの表示の仕方が分からず、ここ数日前に読みました。
メッセージは、Twitterで活動してた時によく話しかけてくれたフォロワーさんから。
かつての名前で呼ばれていて何だかんだ懐かしくなって。
その方からのメッセージも読んでいたら何だか涙が止まらなくなって。
そして読んでくれている人もいるんだ、と。
そこで私は、私が頭を抱えている昔の事を読んでくれている人に詳しく伝えなくてはならないと思い、ここでiPhoneを取って打ち込んでいます。
私の家庭では、小学校低学年の頃に両親が浮気をして離婚しました。
そこで私は母元で生活する事になりました。理由は覚えていませんが。
そこで引っ越して新生活、という中で見知らぬ男が家に来るようになりました。
その男は、母よりも20歳ほど若く。
どうやら仕事をしている様子も無さそうでした。
家に居る時は朝からずっと家に居てお酒を飲んで。
母からは「新しいお父さんだよ」と伝えられました。
戸籍上、現在までも結婚はしておりませんが私は何だかんだ嫌な予感しかしていませんでした。
何で日中から居るの?仕事は?てか誰?
幼いながら私はそんな疑問でいっぱいでした。
その日から、私にとっての地獄が始まった。
私は当時、末っ子ということで発言力もなく部屋が無かったため、リビングで寝ていました。
母もリビングでしたが正直嫌なので距離を離して布団を敷き寝ていました。
しかし、その日から私は廊下で寝る事に。
まぁ廊下で寝る分には良いのですが冷たい床で何もなく横になる夜は凍えるくらいで。
その頃はしょうがないと思いましたが、例の男がリビングで布団を敷き、すやすやと昼まで眠っている様子は憎たらしくて仕方がなかったのも覚えています。
最初はそれ程で大したことなかったのですが、だんだんと暴力をふるわれるようになりました。
初めはビンタ程でしたがエスカレートしていき、そこからは拳で殴る、蹴る、硬いリモコンやらコップやらを投げ付けられる、壁に頭を打ち付けられる、関節技、寝ているところ指をライターで炙られる、私物を勝手に捨てられる、煙草の吸殻を入れた缶の残り水を飲まされるように強要されるなどとまで行きました。
そういったことをする度に男は笑っている。楽しんでいる。
母も最初は笑っており、最後の方は見て見ぬ振り。
私とも会話しようとも目を合わせようともしていませんでした。
兄はその男がいる限り部屋からは出ず、友だちと毎日遊びに行ったり、姉は彼氏の家に泊まったり。
行くあてのない私がいつも標的でした。
厄介な事に母の浮気はクラス中に広まり、毎日嫌いなクラスメイトからは
「なぁ、親が浮気してるってどんな気持ち?」
「お前の家やべえな」
「殴られたりしてるとか、みんな知ってるけどウケるよなぁ本当」
と、クラスでも1人でした。
学校に居ても落ち着かず、帰り付けば暴力。
寝る頃にはリビングから喘ぎ声。
学校は休みたくても休めない。
風邪を引いても怪我をしても。
休んだところで暴力。
何も楽しみがない。
何も休憩がない。
生きている意味がない。
身体の大きさ的にも力にしても勝てない。
たまに父の元に言ってもほぼ門前払い。
私まで嫌われているようでした。
何で?と問う時がありました。
その度に言われました。
「お前はクズだよ。あの母親の息子だから。」
泣きじゃくって家に帰って母にその事を話したこと。
「いや、あなたはあの父親の息子じゃん。ろくでもない。」
そう返されたこと。
存在を、全て否定されたこと。
その全部とは言わずとも殆どを覚えています。
そんな生活の中、中3の頃に姉が家を出ていきました。
短大に通うとかで祖母の家に引っ越しをしたからです。
その時にようやく自分の部屋が得られました。
そうして家にあった古いノートパソコンを持っていき、Twitterを始めました。
何故Twitterかというと、何となく、誰か助けてくれる人がいるような気がしたから。
アカウントを作った動機はそんな感じです。
あとは元々夜中や誰もいない時に、こっそりと動画サイトを開き、ノートパソコンで聴いていた音楽が唯一の救いだったから。
誰が好きな人いないかなと共感を求めて始めたのもあります。
それからの私は、学校や部活以外では部屋に出ないことにしました。
ご飯も別々にして、1人で部屋で食べて。
土日なんて部活が終わればすぐに帰宅。
部屋で好きな音楽を聞きTwitterをする。
それか勉強をする。
幸せだった。
フォロワーさんはみんな楽しい人だし、音楽の趣味が合う人たちにもフォローされフォローして。
それでも男からの暴力は止まりませんでした。
鍵がない部屋だったので何度も突然入られて殴られたり、蹴られたり、首を絞められたりが続きました。
それでも、このノートパソコンだけは隠し通し、何とか中学卒業まで耐え抜きました。
幸いにも高校のクラスメイトにはこの事もバレていない。
フォロワーさんのみんなには心を救われている。
それでも私は、生きる事が耐えられなくなりました。
ある日、私は死ぬ事にしました。
作戦はこう。
刃物を隠し持って、その男が部屋に来た所で私はその刃物を自分に刺す。
そうして相手を恨みながら死ぬ。
殺すのはリスクが高い。
なら死ぬしかない。
帰りに買ってきた刃物を持って、静かに考えました。
いい人生ではなかった。
それでもフォロワーさんは楽しかった。
初恋の人はこの前自殺をして亡くなった。
私も人生の潮時はここだ。
そう考えている間に男は部屋へ来ました。
今日も怒鳴っている。アルコール臭い。
死ね。いや、死ぬ。
私は刃物を持っているが、どうしたら死ねるか分からずにそのまま手首を切った。
何度も切り落とす覚悟で、何度も切った。
シーツが血まみれ。
男も流石に引いていた。
上手く行けばこいつが殺したということにもできるか?いや、無理か。
なんて思っているところで母も現れた。
何か止めているが私には関係もなく。
かと言って手首だけじゃ死ねない事も悟り、首に刺すことにした。
作戦は失敗。
止められてしまった。
そこで持っていた刃物も取られて痛みが急に来た。
痛みが走った。どうでも良くなった。
そのまま病院へ連れられたのも覚えている。
それが実ってか、その男は家に来る事は無くなった。
さすがに死人は出したくないんだろう。
母も謝っていた。
正直何も考えられなかった。
それ以降はというと、姉は3人と浮気をしていて、兄は働く必要とかなくない?とヒキニート。
嫌気がさして嗚咽が止まらなくて、それ以降もご飯は1人で食べた。
自分で作った日もあったりだったが、せめてもの皿洗いは自分でしようという意思も変わらず。
ただただ暴力がなくなった。それだけの事でもたったそれだけ。
尚、今も母以外連絡が取れず音信不通だ。
あの時本当に死ねたら良かったのか、はたまた生きてよかったのか。
少なくとも、私を覚えてくれて、メッセージを送ってくれて。
その時に俺が生きてても良かったのかなと思っている。
いつか、完全に忘れる事ができたらな。