スズカマンボの最後の子供がデビューする。
今年で最後かー。
頑張れ、ボッ仔。
これみると

ガツガツとライブレポを書いていたのが、一昔前になっている現実。
読み返すと懐かしい。
よくやってたなあと思う。

アメブロにも、みっちーの簡易レポ書いていたけど、これもみたら、10年前。
転職して、早1年ちょっと。
前職とは異なる業界に飛び込み、試用期間の課題をギリギリクリアし、半年基準の売り上げもクリアし、1年基準もクリア(半年でクリア)。

試用期間中には、1年後に残っていられる想像も持てなかったが、無事に残っている事も、不思議で、2年目基準クリアの見込みもある。

しかしながら、とにかく、定期的に精神疲労に襲われる。
残業時間が決められているため、やりたいことが全て出来ない故に、休日に仕事を考える必要がある。
平日は、新規見込み作りも必要だがアポに終われると、その準備の兼ね合いとうまくはかれない。および、アポとりたくないんだよと思ってしまう。

時間は作るものではあるが、やらねばならないこと、やりたいことのバランスがうまく図れずストレスと、自分で自分にプレッシャーを与えている現実もある。

どうしたら、解放できるのか。
早く楽になりたい。
こころに余裕がないのも嫌だな。

趣味も気力がでない。
終わらない仕事が気になるからだ。

この仕事を本気でやめたいとはまだ思わないが(転職活動の方が今は面倒と思う)、続けていけるかは、定期的に悩む。

休日のお仕事は、禁止されているが、お仕事しないと、間に合わないとおもうが、お仕事しないで休みを終える事も多く、さらに自分で自分を追い込んでしまう。
上司は、時間内に終わるようにしろという。
結論として、タイムマネジメントの問題となるが、タイムマネジメントとは、そもそも、1人で完結できるレベルに達さないと、難しいのではなかろうかと思う。
上司含め、まわりへの確認や相談が必要な場合、待ちがでる。
それも加味した上で確認ごとは、早目に段取るようにしてはいるが、そううまくいくものではない。
入社して、1年ちょっとの私が、チーム内で2番目の社歴という若いチームだから仕方ないのか。
後輩優先と思う自分がいけないのか。
新しいチームで、キャリアがいないといところからの独特な悩みなのか。
わからない。

前職もイライラすることはあったが、期間限定だったし、休みに仕事することがないように残業でカバーしたし(遅いときは遅かった)。

ただ思う事は、早いところ上司の手を煩わせず、難しい事でも後輩の相談にもっとのれるようになることかな。
悩んだ事は、後輩にも伝えられるし悪い事ではない。
上司が私にもっと手がかからなくなれば、より新しい人に手を掛けられる。
こうは思っているのだけどね。。。
心のバランスが難しい。

思いを吐き出したく、久しぶりに更新した。FBには、かけないな。こんな呟き
退職した会社を気にしても仕方ないけど。

考えていた以上に問題が多いみたい。

闇の問題物件は、頭の人間がもっている案件に少なからずあるとは、わかっていたけど、考えている以上に客先に迷惑かけているようで。

表にださないから、直接クレームを私に言ってくるところしかわからなかったけど。
そんなにか。。。

懸念していたことではあるけど。
管理、担当の技術力にあった業務分配をしていないことが、明らかな要因。

なぜ、そいつにそれをやらせる
という疑問。

技術や信用が全てなので、ある意味いい時の退職だったかも。

これ以上続いては、営業サイドもしんどいな。評価がた落ちで、信用落ちれば後が続かない。

結局、変な進め方して、社内経費掛けてでは、売上あっても利益減るってば。

なんか、せっかく作戦練って、受注した案件もこれじゃあな。

最後の手土産に残した、新規のお客さんと、新規物件はちゃんときれいに終わるようにと、祈るばかりです。
現職退職について、今までやってきた中での出来事ベスト5。

1位
これは、やっぱりいると思っていた、前任者の営業担当者がいなかったこと。
しかも、入社時告げられず、2週間も姿を見ないので、社内で聞いたら、退職したって。
入社前に、いろいろ教えてあげるねと言われていたのにね。
まあ、退職については、後日、ここでは書けない衝撃の事実を知ることになったわけだが。。。
(なので、退職挨拶も客先にしていなかった)

2位
求人票をハローワークに提出したら、会社の就業規則が、労基違反だって知った、入社2か月目の事実。
正直「えっ??」と思った。

3位
社長との大ゲンカ。2~3回ぶちかました。
その時、なぜか、辞めなかった。なんでだ??

4位
客先に行ったとき、大学の後輩から声をかけられた。というか、私の記憶にはない。
院生時代、講義のアシスタントしていたので、それで向こうは知っていたということと、女子学生がかなり少なかったうえに、作業着きていたから、目立っていたらしい(笑)

5位
結果的に、業務引継ぎとやらは、まともに受けたことがなかった。
システム開発兼務の時だって・・・。かるく引継いだだけ。設定マニュアルだけわたされただけ。
だって、社長に、引継ぎなんていらないし、先に勉強する必要もないと、引継ぎ申し入れしたら言われたし・・・。トラブル発生段階で、対応していけばいいって。。。
そりゃそうだけどさ・・・。何を見ればわかるのかくらいの知識は最初にほしかった。。。なので、サーバー死んだときに、途方に暮れた。。。

その他
気づけば、経理課の業務以外は、何らかの形ですべてかかわった。
技術の仕事も一時期手伝った。
概略設計もやったし、CADもやったし、照査もした。
もちろん、自分のもち業務も対応しながら。今思えば、やりすぎだよね・・・。


前回ブログにも書いたけど、退職に至る理由は、組織上の問題も、一因ではあるが、一番の理由はこれ。

「うちの会社を心から、お勧めできなくなった」

これが一番大きい。
担当している業務が、営業・採用と第三者にお勧めしないといけない立場上、これでは、会社にとってもよくないし、自分も楽しくない。。。

営業に際していえば
■品質の下落。続いていけば、信頼は落ちる。
とにかく、協力会社を増やしてばらまいていくという考えに私は賛同できなかった。
レベルを一定に保てないことが問題。結局、品質は下落している。
受注量と品質確保の分岐点はいったいどこなのか。これを探していく必要があるはず。
このことについての話も何度かしたことはあるが。。。平行線。
私自身は、品質確保の上で、ちょっと、セーブしたほうがいいと思うことも多々あったけど。。。
(結果的に受注して、客先に迷惑かけている案件が複数あるわけだし)
せっかく信頼を得て新規で依頼を頂けるようになった会社にも申し訳ないし、
長年培ってきた信頼も、数年品質の下落を実感してしまえば、どこに出しても同じでしょ?
となってしまう。うち独特にあった、品質レベルがなくなってしまい、他社差別のおすすめ部分がどうかんがえても見えなくなった。
品質管理って、成果品の質だけでなく、人の品質(コミュニケーションや、コンサルティング能力)が絡んでくるはずだが、ここへの着目も少ない。
売上高至上主義で、結果的に、協力会社を増やしてばらまくという流れになっているが、これでは、
専門家といえないのではないか?
というのが、私の考えで、これがかみ合わなくなってしまった。。。

採用に関していえば
■特に、新卒採用が心が痛かった・・・
以前は、わが社の売りがあって、この技術が身につけば一生ものとお勧めできたけど。
それができない現在。そして、教育もいまいちなので。。。
中途に際しても、同様だが、スカウトメール作成においても、新卒の学生に対しても、嘘をついているみたいで嫌になってきた

他にも理由はあるけど、最大な理由は、やはり、お勧めできなくなった・・・なんだよね。

退職において、やるべきことはやりきったと自分では思っているので、すっきりした気分で退職を迎えてはいるんだけど、会社を去るより、長年仲良くしていただいた、お客さんとのお別れが寂しさもあったので、仲良かった方々には、個人の連絡先もお伝えしておいた。

新入社員の時からお世話になっていた人や、
業務を通して仲良くなって飲みに行っていたお客さんやら、いろいろな出会いがって。
採用関係でも、採用媒体の営業の方とも仲良くなっていたりしたので、お仕事抜きで今度は楽しく飲みに行けたりしたらなと思っている今日この頃。

顧客リストをまとめていて気づいたことがあった。
私が仲良くなっているお客さんたちって、いい意味で、ちょっと癖がある人が多かった!!
多分、自分もそうなんだろうね(笑)

今回知ったのは、営業職って退職時、大変だわと思ったこと。顧客数が多かったのもあるけど、限られた時間の中で全部はいけないから、取捨選択が大変だった。
ただ、直接会わないとと思っていた方には会えたし、会社によっては、メンバーを揃えて下さったりと、よくしていただけた。
最後の最後で、客先からの自分の評価も知ったし(技術担当の評価は聞くけど自分の評価は知らないし)。評価は、お世辞かもしれないけど、そんな風に見てもらえていたのかと、初めて知りました。

さて、明日からは、新たな会社のメンバーだ。
困難もあるはずだけど、やるだけやってみる。
新卒入社から、18年4か月過ごしてきた、現職の仕事。
入社当時、こんなに長くいることになるなんて思っていもいなかった。
退職を決めたことも含めて、記録として振り返ってみよう。

1997年に、今の会社に入社。
技術職の募集しかなかったけど、「営業で採用してほしい」とお願いして、新卒で入社。
この会社で技術で入った場合、スキルアップまでに時間がかかる、最悪、客先とのやり取りがないまま終わってしまう可能性があると、当時、10名近くいた女性社員を見て思った。
これでは、ただでさえ24歳で入社するのに、意味がないと考えての結論。当時、就職氷河期だったし、女子学生の採用は、建設業界、裏ではなし と言っていたのではいれるところならば という感じだった。

入社してからは、驚きの連続。
いるはずだった先輩営業、退職していないし。だれも、業務引継ぎしていないし。
さぁ、何すればいいの?から始まり、特に営業なんていらないから、と社長に言われるし、1年間はあまり営業という仕事はしてなかった。ちなみに、営業の業務の中に、採用業務があったけど、ハローワークに求人票提出すれば、労基違反なので、この求人は受け取れない といわれ、総務に確認すれば、「そうよ、違反よ」といわれ・・・。はあ、なんだろう?この会社。知っているなら言ってよ・・・ と思った、入社した翌月の出来事(苦笑)。採用業務も、総務が引き継いでいたわけでないので、実務レベルでの対応を知っている人は誰もいなかったというのも、驚きだった。

で、客先に少しずつ行くようになると、「前任者退職のあいさつないんだけど??どうなってるの??」と客先から言われ、お詫びも含めて、新任あいさつ回りを行うことに(もちろん1人で!!)。

入社した初年度に、正直びっくり経験をたくさん積みながら(クレーム謝罪も、新入社員私一人で、成果品持参で、出張するという、まあ、冒険的な会社でした)、なんとかかんとか、やりつつ。。。

こんな状態だったので、3~5年勤めたら、転職しよう なんて思っていたら。。。

システム開発課の専任者が退職することになり、この業務も私に追加となる。
とりあえず、新卒入社時において、営業アシスタント的に立ち回っていた総務の人が担当していた業務を対応する人がいないという事で、営業含めてこれらの仕事も営業の仕事に割り当てとなったため、本当は、2人分の業務を対応していたことになっているのだが、これで、3人分を1人で対応することとなった。

システム系については、特に勉強していたわけではないので、
新たに独学で知識を蓄積していくことになったわけだが、前任者退職して(しかも病気退職)、1週間後、
懸念していたサーバーがトラブった。
近いうちに、ダメになるという想定は、ハードディスクの年数からも理解はしていたけど、1週間かよ・・・と
途方に暮れる(泣)。
これもいい思い出だけど、このおかげで、ディスクアレイ構成や、サーバーについて知ることになったので、その後結果的に、9年間も続いたシステム開発課の兼務人生において、非常に役に立ったのと、もう、ちょっとやそっとのことでは、驚かない・・・という考えも身についた。

総務経理は、常に2人なのに、なんで、3人分抱えた私は常に1人で担当してるんだろう(しかも責任者的立ち回りでも、責任者としての役職はない)という思いも抱きながら、辞めるにやめられない。。。という現実にぶち当たり、さらに、総務経理も1人になりで、余計に退職なんてできず・・・となっていく。

とりあえずは、担当している業務については、役職なくても、実行する上での権限も持っていたことや、改善できる部分は改善してきたので、多忙であれども、まあ、仕事としては、楽しくやっていたのかな?

さて、こんな流れで、大きな転換を迎えたのが、今から3年ほど前の、大きな組織替え。
営業の所属が、バックオフィス部門から、技術に移管した。
所属が変わる際に、今持っている事務的処理な部分は、バックオフィスに引継ぐつもりだから
という話だったが、知らない間に立ち消え。
技術の長にも、訴えなど行うものの、事務的対応は結局このままであるが、そのため、
私の業務全体について、理解をしている人がいなくなってしまったというのが結果的に続いた。
それで給与など評価されても、だれが正しい評価するのかという思いがぬぐえず、疑問が少しずつ湧いてくる。

このもやもやのなか、次の組織替えでは、私が技術とバックオフィスの2部門に所属となり、これまた、いったい上司はどっちになるんだよと、さらにやりにくさ倍増。

ここから、退職を視野に入れていくことになる。
転職で8月から、新たな会社に入る。
職種は変えない。
が、今までの業種は、比較的ラフな服装で問題なかったこともあって、汗だくになる夏の洋服が、まあ、いってみれば、あまりきちんと感があるものがない。

そんなわけで、お仕事用に調達しているわけだが、久々の買い物で、散財しているかも。

下着も買い換えたいと思っていたので、この休み中にと、またしてもまとめ買い。

今や、洋服の方が安いの沢山あるんだよね。
もともと、下着(特にブラジャー)に関しては、あまりケチケチしていないんだけど、ほぼ諭吉価格のものを買ってしまった。

いやあ、つけ心地の良さ足るやハンパない。さすがに、これを色ちがいでいくつもとはいかないので。このラインは1枚にしたけど。

それでも、スーツ買えるよ位なお金使いました。

下着はさ、けちれないよ。やっぱり。

定期的に店舗でサイズ計って購入しないとね。
高いのは仕方ない。体にあうのを選びたい。
お家で筋トレを行うにあたって、ヨガやピラティスでやったことを取りいれてみる。

接骨院で最初に指導されたのは、ヨガでいう橋のポーズ。
横向きで肘から下を床につけて体幹を持ち上げる(ヨガの斜面のポーズで肘から下を床に付けて方側の腕を上げてないスタイル)、臥床で膝を立てておへそをみる形での腹筋。
まずはこの3つを指導された。

初めのうちは、横向きで体幹あげるのは出来なかったので、2つをやっていく。コルセットつけていると、これが体幹支えてしまっているので、体幹意識がなかなか難しい。

1週間つづけると、横向きで体幹をあげられるように。

受傷4週目に入り、トレーニングするときは、コルセット外していいよ、ゆっくりならねじるのもいいよとなり、やっていいよといわれたものから、これならいいのでは?と、出来そうなポーズを考えて、メニューに加える。

臥床でゆっくり足上げ、ひざまげ体側のばし、テーブルトップ、足を操るポーズ、棒のポーズ、捻りのポーズ、コブラのポーズ、木のポーズ、ダウンドッグ、船のポーズ、胎児のポーズ等。さらに、ヨガレッスン前に行っているストレッチの内容。
その時、調子が悪い(だいたい腰周りが固くなっている)部分をほぐすようなイメージと、なるべく体幹を使うイメージで、ゆっくりと無理ない範囲で対応。今まで出来ていたレベルでやろうとすると、色々なところが固くなっているため無理がある。そこは今に合わせて対応。

そんなことを続けていたら、やっとこさ、寝た状態で、上半身をそのままあげられるように。

これ、トレーニング開始の時、全くできなくなっていたので、進歩。

今は、体側が固い(特に腰周り)感じがするので、そこを柔らかくするのも意識して対応。

汗かくほどやっているわけではないので、運動と呼べるレベルでやってはいないけど、こんな程度でも、毎日やると違うのかと実感。

背中や腰の凝りは、筋トレしてもらうしかないといわれているし、今後の不快が出ないようにするのも、筋トレしかないよといわれているので、1日に数回でもいいからやるようにしてる状況です。

確かに続けているうちに、凝り感は軽減してきている。

人間の体って、治癒力も含めて、凄いなとケガして実感。