2021年。コヤツの登場で大部分がゲネプロ演奏であることが確定した"みんなの"バイロイトの第九。専門家だったらセンター盤やオルフェオ盤が出現して聴き比べた段階であっちが公演ライブというのはわかりそうな気がするけど…


「歴史的背景」「ライブであること」を頼りに褒めちぎっていた連中には良い薬だった気がする。そういう詩的なエピソード頼りだと前提が崩れたら大変。佐村河内事件もしかり。素人である我々はともかく評論家様方は先入観なく音楽を聴いてほしいものですね。


そもそもライブ=良い演奏、ライブ=燃焼度が高いとかの話そのものがあまりに短絡的な話であるからして…寧ろガチガチに緊張して冷めたものになったり硬い音楽になったりするのが人間と言うやつで、実際「本物の」バイロイトの第九もそういった印象を受けた。ステージに立ったことのある人間なら誰もが知ってるはず。センター盤やオルフェオ盤があってもあっちが公演ライブであると認められずに最後の音のズレ(実は初期はズレてなかったのだが)についても当たり前のように「ライブだから(?)熱狂のあまり崩壊した(😥)」としていた人がいたが、「練習でズレたから本番ではしっかり合わせた」という見方ができなかったのが本当に不思議。そっちの方が自然じゃないかな?


超一流は客の前でこそ最高のパフォーマンスができる!いうのは確かに事実。超一流に上り詰めている時点で演奏会で成功を収めてるのだから必須スキル。当たり前。でもそれは単に打率が高いって話で10割バッターではないのも当たり前の話。フルトヴェングラーもプロオケもやっぱり人間なんだなとしみじみ。


脱線するけど上記の往生際の悪い方も当てはまる「実演の印象」を元に話すのもやめてほしい。実演と録音が別物であることを示しながらも実演で感動したからと誉めそやす。別物なのだから別個で評価するべきでしょ?自慢したい?それなら仕方ないかなぁ()


それはともかくとして、みんなのバイロイトの第九、すなわちEMIの第九だが、皆さん今までどういう印象を持たれてましたか?おそらく多いのが、

「幻想的な雰囲気」「雄大」「神々しさ」といった感想。

3楽章についてに限定されるが吉田秀和さんの表現もそんな感じ↓


この楽章が、高度に精神的でしかも強い官能性をもった音楽の魅力という点で、彼の一般的な精緻の枠にいちばんうまくはまっていると思われる。と同時に他面、ここほど一枚ヴェールで隔てられた向こう側の出来事のような間接性というか、夢幻性というか、そういう定かでないものとして聞こえてくる音楽は他にはない


名文ですね。随分と高尚な表現をお使いになってますけども吉田さん、やっぱりフルトヴェングラー の演奏ってエロいっすよね。…想像でしかないけれどもこの夢幻性とやらはセッション録音だから生じる


・緊張感が本番よりない。リラックスしてる

・客席に人が埋まっていないことで残響が増す

・人が少ないことによる静寂が感じられる


ことから来てるように思う。冒頭のヴァイオリンの音のタッチからしてライブとEMIは別物。縦の揃い方も本番よりEMIの方がルーズ。どちらが良いかは人によるとは思うが、公演ライブの方は良くも悪くもいつものフルヴェンフォームであり、それなら常設オケである技術的音楽的アドバンテージを持つベルリンフィルやウィーンフィル、フィルハーモニア管という競合が存在することになる。少なくともEMIの演奏であったからこそ他と隔絶した雰囲気を持つ歴史的名盤として語られるようになったと思う。