小林鍼灸院のブログ 「志学から而立へ」

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今まで学んできたことを
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それを追求していきます。

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こんにちは、小林鍼灸院の小林です。

最近「中庸」についてずっと考えたり調べていました。


辞書で調べてみると、

「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。
 過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。

 古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の中庸とされた。中道。」

(大辞林より抜粋)



言われてみる分には何てことなさそうに感じるが、
「一つの立場の偏らない」というのが難しい。

なぜならば、
ひとりひとり個性があり、主観があるから。
「相手の立場」を考えるといっても、
自分の今までの経験から推測するしかないから。

中正も然り。
自分に都合が良過ぎてもいけないし、
相手や社会を気にし過ぎても主体性が無くなる恐れがある。

私自身、「中庸中庸・・・」と考えていると、
そればっかりに囚われてかえって
中庸に欠ける出来事がいくつもありました。


このようなブログもそうである。
やはり「伝える」という行為は相手があってこそ。

伝えたい想いばかりが強くなると、
かえってわかりずらいものになりやすい。
・・・気をつけねば



私が今日お伝えしたいのは、
「中庸」という概念があること。
それを頭の片隅に残して、
「あなたなりの中庸」を考えてみて欲しい。
この2点です。


ちなみに、
「万学の祖」と称される古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、
中庸を「徳の中心となる概念」であるとし、

東洋思想に多大な影響を与えた孔子は「論語」の中で、
「子曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。」と記している。
(訳:中庸は最高の徳だが、人々は長いことそれを忘れている。)



・・・どうやら「徳」がキーワードのようだ。


徳には「ただしい、よい、めぐみ、めぐむ」などの意味に使われる。

みなさんに馴染み深い言葉として
「道徳(人の守るべき道、行為の基準)」があります。

人として善い行いをしましょう。
というのを小学校1・2年で学んだと思います。
(もちろんそれに限らず。マナーやモラルといった社会的常識も込みで)



東洋思想にも「五徳(仁義礼智信)」という言葉があり、

「仁」とは、相手を思いやる気持ち、仁愛。
「義」とは、正しい行いを守ること、義侠心。
「礼」とは、敬う気持ちや行動、礼儀。
「智」とは、物事をよく理解するための智慧(≒知恵)、叡智。
「信」とは、友情に厚く、人を欺かないこと、誠実・信頼。

これらのことを理解かつ実践している人を
徳のある人間とされています。


また、中庸の徳として、

「偏らざる、これを中と謂い、易(か)わらざる、これを庸と謂う。
中は天下の正道にして、庸は天下の定理なり」(朱子)


「中」とは不偏であり、
「庸」とは不易である。

中庸とは、
過不足なくバランスがとれていて、
いつの時代にも当てはまり、
それだけに一見すると平凡としか言いようのない
そうゆう道理を示しています。




続きまして、
「中庸」というタイトルの古典があるので、
その中に載っている故事成語をいくつか抜粋します。



「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ふ。
 発して皆な節に中あたる、之を和と謂ふ。
 中は天下の大本なり、和は天下の達道なり。
 中和を致して、天地位くらいし、萬物育いくす。」(中庸 第一章)



訳:情の働きたる喜怒哀楽の生ぜずして静に安んずる全きもの、
  これを中という。
  情が生ずるも節ありて静を存するが故に遂には通ずるに至る、
  これを和という。
  
  中は万物に自ずから備わりしもの故に天下の大本といい、
  和は己によりて通ずるに至るが故に天下の達道という。
  
  この中和を致す先にこそ、天地が在り、
  万物の生成化育が有るのである。


喜・怒・哀・楽などの感情が発す前の状態を「未発の中」といい、
感情が動き出したが、それらがみな節度におさまっている状態を
「中節の和」という。

つまり、「未発の中」を保ち、「中節の和」に達すること
が修養の目的です。




「忠恕は道を違(き)ること遠からず。
 これを己に施して願わざれば、また人に施すなかれ」
 (中庸 第十三章)
「己の心を尽くすを忠となす。己を推して人に及ぶを恕となす」
 (中庸 注釈)


忠恕とは、
「自己の真心を尽くす(忠)をいい、
 忠に従った行い、施しを(恕)という」

「真心と思いやり」が大切ですよ
それが人の道ですよ
と述べています。




「庸徳をこれ行い、庸言をこれ謹む。
 足らざる所あれば敢えて勉めずんばあらず、
 余りあれば敢えて尽くさず」(中庸 第十三章)



庸徳とは、
「目立たない(日常における)平凡な徳」のこと。


つまり、
「小さな徳を日々積み重ねることに徹して普段の発言を慎重にしましょう。
徳の積み重ねが足りないと思えば、敢えて勉めてこれに励み、
発言を慎むよう心懸けましょう。」
 

また、中庸の徳を自分のものにするために
注意することが二つある。

・自分を励まして実行すること。
・過激な発言にならないよう、常にブレーキを掛けられる状態にすること



「言は行を顧み、行は言を顧みる」(中庸 第十三章)

発言した言葉に、行動が伴っているか。
また行動を起こす時に自分の発言を思い出してみる。

つまり、「言行が一致しているか」を再確認してみよう。
言行が不一致だと、説得力に欠け、
相手の身体までうしなってしまいますよ。
という戒めである。




私自身わかるような、わからないような・・・
そんな感じですので、
なんとなく「こんな感じかな?」
と思って頂けたら幸いです。

すぐに解るものはないですし、
人生の根源的な、永遠のテーマもような、
そんな感じのものです。

やはり人間である以上、
人と人の間で生きていくための
工夫や心掛けは大切だと思います。


人の健康にも中庸は当てはまります。

「過不足のないバランスの整った状態」

・・・とはいったいどんな状態であるか?

まだまだ深く考えなくてはいけません。
ひとりひとり違うでしょうし、
ある程度一致したところもあるでしょう。

それをひとつひとつ紐解いていくのが、
私の永遠のテーマであり、使命です。


〈参考文献〉

・「大学中庸」 守屋 洋
・「中庸新釈」 宇野 哲人
・「常用字解」 白川 静