私はずっと『ない』派でした。
理由はあります。
友達って、同性であっても嫌いな人とは友達になりません。好きだから友達なわけです。となるといつ恋愛になってもおかしくないからです。
友達と恋人の好きの違いはキスできるかどうかの違いでその境界はほんとに曖昧。
だから、男女の友情はない。
という考えです。
私は20代の頃、今の夫と出会いました。
グループで遊ぶのが好きな人で、色んなグループに所属していて、女の子がいるグループもありました。私はそのグループが嫌でした。なんでわざわざ女の子がいるグループで遊ぶのかと何度も怒りました。夫は私のために遊ぶのを控えてくれたりしましたが、それでもこっそり元カノとご飯に行ってたりして、すぐバレて大喧嘩したこともあります。
でも、夫はそんな女好きなタイプではないんです。見た目もカッコいいわけじゃない。理性もすごくあります。元カノとご飯に行ったのも本当にご飯だけで、元カノだからこそ気軽に話せる、というのが分かるのは今だからです。当時は、別れようとまで思いました。腹立ちすぎて。
そんな、まったくその辺の感情が合わない人と結婚したわけですが、新婚当時、夫は出張が多く、嫁ぎ先の大阪でポツンと1人の私は寂しい日々でした。そこへ、夫の友達(男)が遊びに誘ってくれるようになって。もちろん逐一夫には報告しますが、夫は「いっておいでよ」といつも言ってくれました。
夫の友達だから私に気を使ってくれるし楽しかったんですよね。それで、我が家で夜まで遊んでて、もう泊まっちゃう?みたいな流れに。
女友達と遊ぶ夫みたいに私もやってやろうという気持ちもありました。
深夜まで遊んで、そろそろ友達は明日も仕事だから寝かせてあげないとと思って、「寝ようか」と声をかけて、私は隣の部屋に引っ込みました。彼も、リビングで寝る準備。そのまま朝までお互いぐっすり。
朝になって彼は普通に仕事へ行きました。
事後報告で夫に彼のお泊まりを伝えました。さすがに「あ、そうなのね」と大喜びではなかったけど何も言われず。20代の男女が一晩2人っきりですよ?
私はこの時、「体の関係って、そうそうならないんだな」と思いました。別になりたくもなかったんですけど、浮気とか不倫とかって、やる人はやるしやらない人はやらないんじゃ?と気付きました。
それから娘が産まれました。
あ、ちゃんと夫の子です笑
すくすく育った娘は高校生になり、彼氏ができるようになりました。その娘の恋愛観が、夫にそっくりで。
まず、娘には男友達が多い。「お前がさ」とか「あいつのこういうとこマジでむかつく」とか、本当に同性の友達と同じである程度嫌いなとこも知っていて割り切って遊んでいます。男友達と2人っきりで遊ぶことはしません。2人だと楽しくないんですって。確かに、夫もグループで遊んでた。
恋愛観としては、「私は男友達とも遊ぶ。だからあなたも遊んでいい」スタンスです。
でも付き合った彼は私と同じ「男女に友情なんかない」タイプ。苦しんでるようです。娘は強いから、自分のやり方を貫きますから。彼はひたすら我慢するのみ。もつかな?高校生だからまだ考えが変わるかもしれない。
でも私わかったんです。娘と夫たちの考えが。
異文化交流なんです。
異性と遊ぶのは異文化交流。新鮮で刺激的。
それはわかります。この後です。
彼らは、束縛をしないんです。夫も娘も声を揃えて言うのは、「恋人には自分の友達とも仲良くなってほしいし人気者であってほしい」ということです。
そんなことになって、恋人が他の人に行っちゃったらどうするの??て聞くと、「それならそれでおしまい」とのこと。夫はそんなモテるやつじゃないんですよ?でも、実際私は他の男に惹かれず結婚したわけですから、理屈としては間違ってなかった。
娘もそう言います。
「他の人と遊んでも、私のところに戻ってくるなら、それが一番信用できる」て。
(あもちろん浮気したらおしまいですよ)
そして
「自分は恋人に冷められてるんじゃないか?」
という考えはなくて、
「自分はこの人をちゃんと好きか?」
を気にします。
だから、必要以上に嫉妬しない。目の前で異性と仲良くしてるのを見たら嫉妬しますが、不安で色々想像してしまったり絶望したりすることはない。
自分軸で判断してるんですよね。
娘も夫も、冷たい態度を取られるか、別れたいと言われるまでは、相手の愛情を疑いません。
だから娘は、恋人の嘘は許しません。嘘つかれると判定できないから。
私は嫉妬心の塊の精神で娘を育ててきたのに結局こんな感じですから、
そういう生まれ持った考えなんだなと。
嫉妬が強い私には無理だけど
なかなか恋愛としては自立していて、素晴らしいのではないかと思ってしまいました。
私はもう40代で、色々落ち着いた今だから共感できるのかもしれません。
結論
『男女の友情は、異文化交流であり、恋愛において自立した人には成立する』
パートナーがそうでない場合たまったものではないが思いやりによって成功する。