まず、アウシュヴィッツⅠで最初に見学したのは、ブロック4
これらの建物は、ポーランドの兵舎を利用していたため、煉瓦作りになっています。
ここには、犠牲者の髪の毛、カバン、メガネ、義足などが展示されています。
ここだけは外さずに見学して欲しいです。
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1942年から1944年までアウシュヴィッツに連行されたユダヤ教徒たちの故郷です。
北はオスロ(ノルウェー)、西はパリ(フランス)、アムステルダム(オランダ)、南はローマ(イタリア)、アテネ(ギリシャ)、東はロシアまで。
ナチス・ドイツがヨーロッパ中からそのほぼ中心にあるのがアウシュヴィッツです。
なぜ、ここだったのか。
市街地から適度に距離があり、拡張が容易、世界の目が届かない場所、さらに鉄道輸送のジャンクションで既存の通信網が整っていたこと、陸軍の宿営地としての建物をそのまま使えることなどでした。
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犠牲者の遺骨の灰
死体焼却後に残った犠牲者の骨粉
証拠を隠すため、SSは、骨粉を川や人里離れた畑に捨てました。
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死の道
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移送された犠牲者
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貨物列車に座ることも出来ないほど、ぎゅうぎゅう詰めにされてきました。
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死の選別
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輸送車の模型
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