2019年に訪れた時とはすっかり変わっていました。
新しい入口から入り、出たところは前回は博物館の駐車場だった辺りでした。

当時の様子

ぎっしりとバラックが建てられています

もう使われていないですが、以前はここで大きな荷物を預けていました。

こちらが以前入り口になっていました。


もう使われていないチケットブース



ARBEIT MACHT  FREI

(働けば自由になれる)


ここの前で毎日朝晩、囚人の中から選ばれた人たちが音楽隊として、強制労働に出る時と帰る時にスムーズに行進させるように演奏を行っていました。


音楽隊は重労働を免除された代わりに朝から晩まで訓練をしていました。

他の収容者と比べると防寒、医療面など優遇されていて、生き残った割合が高かったそうです。

現在の航空写真です。

キャンプは、旧ポーランドの陸軍の複合施設を利用しています。

20のレンガ造りのブロックと新しく8つ作り、28のレンガ造りのキャンプ複合施設が形成されました。

これらのほとんどは、収容者の収容施設となり、残りは病院、倉庫、オフィス、刑務所として使用されました。


ツアーで貸してもらったガイドブックの中の地図

ガイドさんが見学すべき場所にマークをつけてくれました。

アウシュビッツの生存者が描いたもの

「ブロック15の基礎を掘る」

増え続ける収容者のために収容者たちに増築をさせました。




1944年8月12日から9月17日の間に、13000人の男女と子供が、プルシュコフのトランジット収容所からアウシュヴィッツ強制収容所に強制送還された。