観光と言う言葉は、許される場所ではないと思うので、見学と言うタイトルにさせていただきました。

私の価値観、考え方で書いてますので、不快に感じることも多々あると思います。

そのあたりは、目を瞑ってくださるとありがたいです。


前回2019年5月6日に訪れた時にアウシュヴィッツ博物館公認ガイドの中谷剛さんに聞いたお話などを思い出しながら再訪しました。

私は、鳥なのでそのままの言葉を伝える自信はありません。

私の頭の中に残っている記憶なので、言葉は変わっていることをお許しくださいお願い


ここは、墓石のないお墓です。

追悼の気持ちを持って、足を踏み入れてください。

ここでご家族や親類を亡くした遺族の方たちもお越しです。

お墓でしないような行為をすることは謹んでください。


とツアーの最初に説明がありました。

日本語のツアーですから、海外の方はいません。

日本語通じているはずなのに、半数の方が観光気分でお越しでした。

絶対してはいけないと注意されたのにピースサインで自撮りしている人も。


アウシュヴィッツで起こったことは、たった一人の独裁者(ヒットラー)が始めたことではない。

普通の人が他人を妬む気持ちや差別から発したヘイトスピーチから広がっていったもの。

またその話は、撮った写真と共に簡単に書こうと思います。





ビルケナウ(アウシュヴィッツ第2強制収容所)

1941年、ハインリヒ・ヒムラーは、メインキャンプの拡張を命じ、ビルケナウの建設が始まります。

ここは、収容所と火葬場の巨大複合施設でした。

アウシュヴィッツ第1(メインキャンプ)とは異なり、囚人が自分自身で建てた貧弱な木製の貧弱なものであり、多くの囚人は、低体温症、飢え、ひろうで亡くなりました。

1941年までには、ほぼ全てのポーランドのユダヤ人は、収容所またはゲットーで暮らしていました。

1942、1943年には、1日平均1.5本の列車で送り込まれた囚人のほとんどがガス室へ直行。

ビルケナウは、「死の工場」と呼ばれていました。

名前がよく似てるのですが、この4人がわりとよく出てきます。