自然の摂理

子供より親は先に旅立つ

先に子供が亡くなるのは、逆縁と言って、これ以上の悲しみはないと思います。

まして、すでに父は92

90歳まで頑張って働いてくれました。

先日、胆管炎で入院。

幸い抗生剤が効いて、今は数値は正常に戻ってます。

が、原因になっている結石はあるので、このままだとまた同じことを繰り返します。


医師からいざと言う時のために延命治療について、話し合っておいてほしいと言われました。

私たち兄妹は、建前では話しません。

大切なことなので。

きれいごとを並べたところで結論は出せませんし、後悔することになるので。

きれいごとを書いたところで誰の役にも立たないでしょうし。

なぜきれいごとなのかというと、私たちは出来ないし、やらないから。

ちゃんと行動している人の話はきれいごとではありません。

介護や看護をしている人は、真の優しい心の持ち主なのだと心から尊敬しています。

だって、私たちには到底出来ないことだから。

でもそれが正しいのかは私には分かりません。

心をすり減らし、疲れ果て、家庭も暗くなる。

幸い家族は、夫も含めて誰も私一人の問題だとは思っていません。

子供たちも当たり前のように協力してくれます。

でもそれは、介護をしていないから。

実際に引き取って、介護をしていたら、家族は崩壊していたかもしれません。

ありがたいことに父は、その職に就いていたこともあり、介護はプロがやるべきだ。

家族がやると共倒れになってしまう。

きっと長年そんな家族を見て来たからだと思います。

子供には子供の人生があり、その家庭を大切にしなさいと言うのがいつも私の両親の考えでした。

私たちには言ってきませんが、あまりにも面会に来ない子供をみると「家族なのに・・・」

と漏らすことがあったので実際は どう思っているのかは分かりません。

理性がまだあり、前頭葉がまだ壊れていないだけなのかも。


母は癌で享年67(66)歳で他界しました。

その時は、父と母は、延命治療に対して約束を交わしていたらしいです。

父がその瞬間に耐えられず、延命措置を希望し、呼吸器を取り付けました。

母は、めっちゃ怒ってました爆笑

約束したのにむかつき

と。

お喋り好きの母にとって、話せなくなることは何よりも嫌だったようです。

筆談で話してましたけどねゲラゲラ


介護と違い、看護だったので、家族総出。

その時の苦い思い出が今でも蘇ってくるので、鳥取に来ると暗い気持ちになるので来るのが嫌な理由の一つ。

後は、コロナ禍、父に会いに来た時に散々バイキン扱いされ、東京からの客はお断りと言われたりしたことからのトラウマです。

生きている限り、過去の嫌な記憶は反芻されるので、思い出すキッカケを作らないようにするしかないんです。

思い出さないのがいちばんの薬。


長々と書いたけど

担当医師から言われてることは

3つの選択肢

いざという時のため、今後のために兄妹で話し合っておいでください

言われる前からずーっと毎回話してます。

私たち、冷血だから。

延命措置はしません!

・・・

って言ってたけど、実際にそうなると出来ないって理解しました。

もう、いいですとは言えなーい。

母が入院していた時、シューシューってあちこちにダースベーターがいて、見ていて、何の意味があるの?

もうどう見ても高齢でただ繋がれて生きているだけの人。

あれだけはやめようと話してる。

だって、そう言う人にお見舞いに来てる人見たことほぼない。

大切な人だから、じゃないらしい。

そりゃ、意識もないのに面会行かないか。

何のために生かすのか、分からないけど。

ただ目の前で実の親が苦しそうにしてると助けてと思うし、結論が出なくなりました。


また話が飛んでるお願い


医師からの選択肢は、

1.首元あたりからの栄養点滴

(すでに腕の血管はボロボロなので腕からの点滴はムリ)

デメリット:感染症になりやすい→死亡

2.胃瘻を作る

(胃に直接栄養を流し込む)

3.何もしない

→餓死


長くなったので、この辺で。

しばらく精神安定のためのスイスブログに戻ります。

東京→フロリダ→スイス(現在)→ポーランド→ハンガリー→スイス→フランス→東京

です。

次の旅に出る前に書き終えられるのかショボーンショボーンショボーン

それより行けるのかー爆笑爆笑爆笑